プロローグ
 四季折々に湿原の上を吹き抜ける風は色を運んでくる。北国でも三月半ばを過ぎると日当たりの良い川岸では柳の木が芽を膨らませはじめる。オノエヤナギは細長い黄色い芽をのばし、ネコヤナギはふっくらとした銀白色のつぼみを付ける。それは春を待つ人々の心を和ませ、ネコヤナギの芽が開いたよ、と春一番の使者の到来が喜ばれる。 川面を渡る風は、水に写るその姿を小刻みに震わせ、崩れたその影は流れに乗って川下に漂い、その後にまた新しい蕾が映し出されている。陽射ひざしを受けてザラメ状に溶け出した雪庇せっぴの陰には、そこだけ黒い土が顔を出し、福寿草が濃い黄色の花をつけ、冬枯れた一面の葦原に唯一のアクセントをつけている。
 まだ湿原の樹々に芽吹きの気配はない。
 あたり一面の冬景色にようやく僅かな彩りが加わったといっても本格的な春がやってくるのは未だ先の事で、昔から三寒四温さんかんしおんと言われる日がしばらくは続く。広大な湿原を横断して流れる釧路川の岸辺で、毎年見られるこの風景は、これから始まる湿原の四季のプロローグなのである。やがて太平洋から吹き込む湿気を含んだ暖かい風が、ようやく雪解けを迎えたばかりの冷え冷えとした地表を吹き抜けてゆくと、この地方特有の霧が発生し、地表を覆い再び辺りを沈んだモノトーンの世界にしてしまう。ちょうどこの頃、南北に長くのびた日本列島では、桜前線が各地に春を告げながら北上し、それは根室の『清隆寺』の千島桜開花で終わりを告げる。やがて霧の晴れ間にアヤメやカキツバタの群落が薄紫のつぼみを見せ始める頃には、気温も上がり季節は一気にみじかい夏へと移行してゆく。

  時の流れ
 平成十五年一月一日『自然再生推進法』が施行された。法案の第二条は次のように定義している。
 この法律において『自然再生』とは、過去に損なわれた自然環境を取り戻すことを目的として、関係行政機関、関係地方公共団体、地域住民、特定非営利活動法人{特定非営利活動促進法(平成十年法律第七号)第二条第二項に規定する特定非営利活動法人をいう。以下同じ。}、自然環境に関し専門的知識を有する者等の地域の多様な主体が参加して、河川、湿原、干潟、藻場、里山、里地、森林その他の自然環境を保全し、再生し、若しくは創出し、又はその状態を維持管理することをいう。また施行五年後に見直しを行うことが付記されている。
 北海道東部に位置する釧路湿原の一部が、1980年、日本で最初のラムサ―ル条約登録湿地に指定された。この登録地を含む広大な湿地は、開拓当初からここを流れる釧路川やその他大小の河川流域で、地域を洪水の被害から守るための治水工事が行われていた。 北海道庁河川課編纂の『北海道河川概要』によると、北海道内の主な河川の中で釧路川は、水源に屈斜路湖、中流域に塘路湖、タツコブ沼、シラルトロ沼等の緩衝域を有するので、出水の度合いが他の道内主要河川に比べると比較的低かったと述べられている。しかし開拓が進むにつれ河川の状況は悪化し、河岸決壊や地表土砂が釧路港内へ流入するようになってきた。その量も年間三十万立方メートルに達するようになってきた事もあって、流入防止の策として新水路掘削の事業が動き出したのであった。あわせて湿地の畑地化を進めるという目的で、蛇行する原始河川部分の直線化工事が行われてきた。何か新しい工事が始まるとき、現場では様々な利害関係の対立がおきる。空港の拡張工事では土地の収用問題が、港湾の埋め立て工事には漁業権の問題が、都会の高層ビル建築では日照権問題などであるが、これらはいずれも直接住人との関わりとしての問題である。一方、湿原河川の直線化工事では、目に見えて自分の生活権に直接係わる問題とはならない。長年その環境に慣れ親しんできた人にとっては、昔からそこにあるのに今さら何を、邪魔にするなといった素朴な声もあがる。開拓を促進する立場に立つものと自然保護を優先する立場のものとでは意見は異なり、さまざまな問題が提起されていた。自然保護団体などが中心となる反対運動もあったが、これら反対運動の団体に加盟することも無く、行動に加わろうともしなかったが、自分の畑地にやってくる丹頂鶴たんちょうつるを保護したり、湿原の中に生息する昆虫や貴重な動植物を写真に残したり、徐々に数の減ってきたイトウの生活環境を守らなければと考える人達もいた。これらの人々は自分達で出来る事を長年黙々と実行し続けていたのである。やがて時代が自然環境の保全を大切に思うようになり『自然再生推進法』の制定となったのである。このように時代の要請によって左右されるのが人間と自然との関わりであった。
  空港に着いて
 日本航空1143便が釧路空港へ着陸のアプローチを開始した。高度を下げてきた機は、いったん大楽毛おたのしけの上空を通過し郊外に広がる広大な湿原の一部をかすめるようにして進入コースへと進む。名物の霧が発生する春先を除けば、眼下には蛇行する大小様々な川がはっきりと眺められ、そこには日本有数の湿原が今初夏を迎えようとしていた。
 到着ロビーでは観光旅行の団体が、添乗員のかざす旅行社の旗の前に並び、これから始まる道東の旅にはしゃいでいる。
 三十年ぶりにこの地を訪れた篠田は、腰のポーチから取り出した手荷物預かりの半券を手に、ゆっくりとベルトコンベアーの動きを目で追っていた。この度の旅行には、こだわりと言うほどの事でもないが、幾度かの転勤の時にもなんとなく捨てがたく、引越し荷物の片隅に押込んであった昔のリュックサックを持ってきた。かって測量に出るときに弁当や野帳、途中でにわか雨にあったときの用意の合羽などを入れていたものだ。これを背にしてもう一度、釧路湿原を歩いて見たかったのだ。
 古ぼけたカーキ色のリュックは、最近流行の縦型で、機能的で、胴回りにベルトがついてぴったり背中になじむものとは程遠い代物だ。上部の紐をぎゅっと絞ると梨のように腰の辺りが膨らみ、歩くたびに背中でゆらゆらする。両サイドに付いているポケットの蓋にはアルミニュームで出来た穴缶があってポケットの外側に付いている紐を通して結ぶように出来ている。
 やがて待つほどもなく、年代物のリュックは昔を主張しながら悠々と流れてきた。見間違えることなどありようがない、周りにはどれも同じような色柄の最新のザックばかりである、ベルトやハンドルにハンカチを結ぶなどして自分の目印にしている人々が、畏敬の眼差しで眺めている。少々の気恥ずかしさを振り払うようにさっと手にして到着ゲートを後にした。
 空港ターミナルの前には観光バスが何台も出発準備を終えて待機し、どこからか知床旅情のメロデイが流れていた。
 この騒々しい旅客たちの流れから離れた篠田はタクシー乗り場に近づいた。
 ほとんどの客が観光バスにすいこまれ、少人数の賑やかな若者たちはレンタカー会社の方に向かい、会社の役員ふうは出迎えの車に乗り込み、後は自家用車の駐車場に向かうのを、運転席の窓に肘をかけ所在無げに眺めていた客待ちタクシーの運転手は、うれしそうに後部席のドアーを開いた。
 ビジネスマンでもなさそうだし、いつもの観光客のようにも思えない。時代がかったリュック一つで登山でもないだろう。客筋をつかみかねた運転手は何を話題にしようか戸惑っていた。
久寿里橋くすりばしあたりまで、ところどころ止めてもらうけど、、」。
 思わぬ長距離客に運転手は笑顔で大きく頷いた。
「お客さん、こちらは詳しいのですか」
 はじめての観光客には、なかなか読みずらいくすりばし≠口にした客に問いかけてきた。
「いや、三十年ぶりだよ」
「そうですか、それじゃあ私なんかが来る前の釧路をご存知なのですね」
 饒舌そうな運転手の気配に、篠田は窓外に注意を払うような様子で押しとどめた。
 空港から釧路市方向に向かう国道の右手は太平洋、左手は大きな製紙工場の巨大な煙突が煙を上げ、少しばかり異臭を漂わせているのは昔とあまり変わりの無い風景であった。 その先には郊外型の大型量販店や自動車関連の店舗が中心街に向かって切れ目無く続き、篠田の目を見張らせた。新釧路川に架かる新川橋のところで停めてもらった。ここにも釧路大橋や西港大橋などが建設され大きく様変わりしていた。真っ直ぐに上流に伸びる川面のあちこちに海鳥が舞い、砂州になっているところには群れが羽を休め、上流の鳥取橋や鶴見橋はもやの中にあった。
「埠頭の方から釧路川沿いに行ってください」 篠田はこの川の呼び名が旧釧路川から釧路川に戻されたことは聞いていた。開拓当初、治水目的の水路が開かれ最初の直線化工事が行はれた時、新しく出来た水路を新釧路川、従来の河川を旧釧路川とした。しかし市街地の中心部を流れ、昔から釧路川と呼んで慣れ親しんできた地元の住人にとっては、大きな違和感があり、元の名に戻すよう陳情運動がさかんに行われていた。この素朴な願いが叶ってようやく名称が元の釧路川に戻されたのは2001年4月5日、変更されてから七十年後のことであった。一度、公に決めたことを民意とは言え変更するのは容易なことでは無く、長い時間と努力がいったのである。
 港は賑わっているだろうか。かっては水産物の水揚げ日本一の釧路港の様子を確かめたかった。北埠頭や中央埠頭は大型の漁船や運搬船が多く接岸する所だ。パルプ工場の並んだ国道を走っていたとき感じた異臭がいつの間にか海と魚のにおいに変わっていた。どちらも東京のビジネス街の無機質な乾いた空気とはおおよそかけ離れた生気のあるにおいだ。 港の方に向かって近づくとすぐにフェリーのターミナルが目に入った、それは北洋船団の水揚げや石炭の積み出しで栄えた港のすっかり様変わりした姿だ。予想はしていたがあの全盛期の姿を知っている篠田にはさびしく思えた。 荷揚げ港の中を通りぬけ、少しばかり上りになっている河岸を行くと両岸に小型の漁船が係留されているのが見えてきた。そこには昔と変わらぬ釧路川の雰囲気が漂っていた。
 篠田はこの春定年で四十年のサラリーマン生活を終えたが、入社当時若手技術者としてこの地で河川測量に従事したことがあった。
 目的は釧路川上流の一部の流れを切り替えるため、掘削や埋め立てる湿原の測量図作成である。この広大な湿原の中心を流れる川の、大きく蛇行する部分を直線化することで、周りの湿地の水捌けを促し、農業に向く畑地に転換しようとするものであった。中堅測量会社の札幌本社に入社した篠田にとって就職してからはじめて一任された仕事であった。その後道内の各地で橋梁きょうりょうや農道、市街地での緑地化計画、航空写真の撮影など測量に関するあらゆる仕事を手がけたが、湿原に立ち入っての仕事はこれが最初で最後だった。その後仙台支店を経て東京支店長で定年を迎えることになったが、技術系のサラリーマンとしては恵まれたコースを歩んだと言える。定年の日をまじかに控えた或る日のことだった、北海道の本社から業務連絡で出張してきた後輩が「これ確か先輩が担当した仕事でしたね」、と北海道新聞の切抜きを差し出した。
 そこには大きな見出しで釧路報道部 片岡麻衣子記者の署名記事が載っていた。
(以下平成十七年十月十二日付、北海道新聞より引用)
 釧路川再蛇行化の実施計画案を了承
 釧路湿原協議会
〔釧路〕釧路湿原自然再生協議会〔会長・辻井達一道環境財団理事長〕が十一日、釧路市内で開かれ、河川改修で直線化した釧路管内標茶町茅沼地区の釧路川を、再び蛇行させて湿原再生を目指す旧川復元実施計画案を了承した。
 事業主体の釧路開建はこれを受けて実施計画を策定し、本年度内にも着工する方針。
 同開建によると、『一度直線化した河川を再び蛇行化させる本格的な取り組みは全国でも例がない』という。計画案によると、河口から三十二`付近の直線河道約一・六`を埋め戻し、蛇行した旧川を復元させる。直線化した川を元の姿に戻すことで、水位上昇などを図り、イトウなどの大型魚類が生息できる環境や乾燥化が進んでいる湿原の植生を回復させる狙い。
(以下平成十七年十一月四日付、北海道新聞より引用)
【失われた湿地再生の試み】
【巨費で河川直線化↓巨費で蛇行復元】
【釧路】国際的に重要な湿地を保全するラムサール条約登録地として8日、新たに道内6箇所が決まる。1980年に国内で初登録された釧路湿原(釧路市など)では本年度中に、かって工事で直線化した河川を本来の自然の姿に戻す、全国初の再蛇行化事業に釧路開建が着手する。乾燥化が進む湿原再生に期待が高まる一方、周辺農地への影響を不安視する声もある。登録から四半世紀。自然再生と人々の生活の両者をにらみながら、手探りが続いている。  (釧路報道部 片岡麻衣子)
(引用を了承していただいた北海道新聞社に感謝いたします)
 タイミングとしてちょうど仕事や過去の勤務地のことなどを振り返っている時でもあったので、その見出しはいっそう強烈に眼に飛び込んできた。記事を読んでいるうちに、入社間もない頃の事が脳裏に浮かんできた。遠くの国道から風にのってかすかに聞こえてくるトラックが疾走する音と、葦の葉が風を受けてそよぐさらさらという音だけの世界が急に目の前に現れたように思えた。トランシットを担いで歩き回った、あの湿原の風景が無性に懐かしく思いだされた。
やはりあの時、何故こんな豊かな自然の流れを変えなくてはならないのだろうかと疑問に思ったのが正しかったのだ。このような自然環境のところで農業を振興させる必要があるのだろうか。農地化の恩恵に預かる農家は何軒あるのだろうか、見渡す草地の端にぽつんと数軒の農家が点在しているだけなのに。そんな思いを抱きながらも、任された仕事に取り組んでいたのだった。
 時代の要請とは言え、太古からの自然を安易に作り変えるのには問題があったのだ。やはり間違っていたのだろう。
 最近団塊の世代と言われ、高度成長時代を仕事一筋で過ごしてきた仕事人たちが、そろそろ定年を迎える時期になってきた。それらの多くの人たちは、ようやく自分の足跡を振り返ってみる余裕を持ち、それぞれが突っ走ってきた年月の中で気にかかったり反省させられる様々な問題を抱えていることに気が付いている。
 この世代を部下に持つ立場にあった篠田にとっても、会社人生のスタートであった仕事が批判されているのを目にしては内心忸怩じくじたる思いである。何故今になって元に戻そうとするのだろう、当時のいろいろな情景が走馬灯のように浮かんではきえた。いまもはっきりと脳裏に焼きついているのは、大自然が織り成す心安らぐ風景であった。
 JR釧網線せんもうせんの細岡駅近くの丘から眺めた夕日の美しさ、その中をシルエットのように飛んでいった丹頂鶴たんちょうつるの群れ、湿原の中で出会ったあの少年はどうしているだろうか、元気に声をかけてきた笑顔が鮮明に浮かんできた。
 長期滞在した久寿里橋くすりばしたもとの旅館、毎日の食事に飽きて出かけた居酒屋のおやじ。
 次々と思い出されてくると、もう矢も立てもたまらなくなった。定年後に何をしようと特に決めていなかった篠田にとっては格好の目的が出来た。
 篠田は今まで、新聞のニュース記事とは、その時々の最新の出来事を読者に知らせるものであって、多くの読者は朝の短い時間の中でさっと目を通し、次々に起こる出来事に追われ、忘れ去られていくものと思っていた。しかし、今回この記事を目にしたことで、読者によっては、その新しいニュースが三十年も前の出来事を振り返らせ、どうしてそうなったんだろう、確かめてみよう、そんな気持ちをも起こさせることを知った。当時の関係者の中で何人がこの記事に目を留めただろうか、読めば何がしかの心の痛みを感じているだろうと思う。新聞、それは日々の情報源に止まらず時代のデータベースなのだ。訪ねてみよう、湿原のいまをこの目で見ておこう。仕事人生に、定年という節目を迎えた篠田の自分の足跡を振り返る旅がはじまった。それは時代のデータベースを検索する作業にも似ていた。

 居酒屋
釧路と言えば幣前橋ぬさまえばしで知られている。昭和五十一年に架け替えられたとき、欄干には道東の四季をシンボライズした(四季の乙女像)が飾られ、駅前中心街と高台の古い由緒ある町並みがこの橋で結ばれている。タクシーはさらに一つ上流にかかる久寿里橋くすりばしのたもとに着いた。
 昔、篠田たちが定宿にしていた旅館のあった場所には何処にでも見られるビジネスホテルが建っていた。当時会社から派遣された測量技師たちは広い湿原のあちこちに分散して測量をやっていたので、長期に契約してあったこの旅館は、それぞれ担当地域の作業状況などの情報交換の拠点でもあり、札幌本社への行き帰りに泊まることが多かった。同僚の様子や家族の話題などを語り合って、単調な作業に明け暮れる日々の息抜きの場になっていた。入り口は引き違い戸で、その脇に大きな一枚板の看板がかかっていたのだが、今は自動ドアになって横文字が並び上階の壁面にはネオン文字が光っていた。また魚箱などが積み上げられていた川岸も河岸公園に整備され、すっかり昔の面影は見られなかった、しかし一歩裏通りに入るとそのあたりの町並みはほとんど変っていなかった。昔の記憶そのままが、ただ年月の経過を抱えてそこに在った。予約なしの客だが黙ってルームキーが差し出された。混み合っている様子も無い。
「ここ、昔からあった旅館でしょう」
「えっ、よく知りませんが、四、五年前からあります、私は派遣で最近来た者ですから」
 篠田が長期に滞在していた頃の経営者に替わってビジネスホテルのチエーン店になっているようだった。
 チエックインを済ませはしたが、玄関正面にあった二階に上る軋みのある階段もなければみんなでにぎやかだった食堂もなく、そこには昔を思い出す何物も残ってはいなかった。 部屋のベッドにリュックを放り出すと篠田はホテルを出た。
 ゆっくりと幣前橋ぬさまえばしの方に向かって川沿いに歩いた。あまり大きくない船が舫っている様子は昔と同じだが、川岸には近年になって出来たと思われる大きな建物が並んでいる。その窓からの明りと、屋上のネオンが水面に反射して、そのきらめきの中に『四季の乙女像』も浮かんでゆれていた。
篠田たちの仕事が終り引き上げた頃、橋はちょうど工事中であった。話には聞いていたが完成した幣前橋ぬさまえばしも『四季の乙女像』も初対面である。
 駅側を背にして古い町並みが続く高台方向にむかって幣前橋ぬさまえばしをわたると、舟越保武作の春の像、佐藤忠良作の夏の像が右手の欄干を飾り、左手には柳原義達作の秋の像、本郷 新作の冬の像が並ぶ。
 タクシーを降りたとき運転手が差し出した観光パンフレットを思い出し、明るい街灯の下で取り出して見た。夕日に映えるブロンズ像は写真よりも素晴らしいシルエットで三十年ぶりの篠田を迎えてくれた。
川岸を少し戻ると左手の路地が居酒屋通りになっているのは今も変わらないようだ。飲食店街のアーケードが見えた。初老の足取りが徐々に青年の足取りになった。
 記憶にある看板が見えてきた。大きな丸い木組みで縁取った中に、海底の岩場に生えた昆布が揺らぎ、魚が群れている様子が描かれ、それを囲むように、居酒屋『漁礁ぎょしょう』の文字が歌舞伎の勘亭流かんていりゅうのような字体で大きく書かれていた。
 三十年の時間の経過を振り払うように篠田はその暖簾のれんをくぐった。外観はさほど変わっていなかったのに内装は昔とはだいぶ違っていた。入り口右手から奥のほうに向かって長いカウンターが連なり、客が座ると四五人おき位の位置に焼き網がある。左手には小上がりの座敷が並んでいた。
 未だ早い時間なのでカウンター席の定位置に陣取る常連客の姿は無く、職場の帰りらしい若いグループの賑やかな声が座敷のほうから聞こえていた。
 店の中央で、篠田がよくニシンやホッケの開きを焼いてもらった大きな囲炉裏は見当たらなかった。カウンター席の端のほうに座った篠田の前に、
「何にいたしましょうか?」
 見かけない一見いちげんの客に、ややあらたまった感じの声がかかり、そっとお絞りが差し出された。
 客筋はこの声のかかり方で判る。篠田が足しげく通っていた頃は、おやじはまな板の手を休めることもなく、席に着いた篠田の方にチラッと優しい視線を送り軽く頷くだけだった。天井からいくつもぶら下がっている竹篭にはホッケ、キンキ、ニシンなど、おやじのめがねにかなった新鮮な一夜干しが並んでいる。それを目で追っている篠田の目線が決まるのを見ると、おやじはその篭の中からさらに吟味するように一枚を選び大きな囲炉裏の焼き網に乗せてくれたものだった。
「あっ、そうだね、、じゃあ、ビールを」ほんの数秒間、脳裏を走った昔の記憶から覚めた篠田は差し出されたお絞りを手にした。
 まわりを懐かしそうに見回している篠田の様子に、少し奥まった板場から主人風の板前が声をかけた。
「もしかして、古いお客さんでありませんか、、、親父おやじがやっていた頃と内装変えましたので、、」
眼を上げた篠田の前に、記憶にあるおやじにどこか似た笑顔があった。
「息子さんですか、、」
「はい、親父おやじが身体をこわしましてね、代わってから七〜八年になりますか、今でも昔のお客さんが突然立ち寄ってくださることがよくごさいます。すぐわかるんですよ。ぐるっと囲炉裏いろりを囲んで座っていただいていたあたりを気になさるようなので、、」
と笑った。
「そうですか、篠田といいます、三十年になりますか、昔よく通いました、で、おやじさんは」
「はい、足が弱っていますが元気です。
奥の自分の部屋に居りますが昔のお馴染みさんが懐かしくて、知らせないと怒るんですよ、声をかけておきますから会ってやってください」
 父親思いの二代目の顔であった。
 作務衣さむえふうのユニフォームに白い前掛け姿の小柄な女性が、ビールとつき出しの小鉢をのせたお盆を、篠田の前に出そうとするのをちょっと手で制し、小鉢を取り替えると自分でそっとさし出した。小鉢には菱の実のような形の濃い飴色のものが盛られていた。
 篠田にはすぐわかった、昔よく常連客におやじが出してくれたものだった。鮭の心臓の甘辛煮だ、貴重品である。冷たいビールで潤った口の中に懐かしい味がゆっくりと広がっていった。
 義父ちちは奥にいます、と先ほどの小柄な女性が案内してくれた。店はどうやら二代目夫婦で切り盛りしているようだ。
「お義父とうさん、昔のお馴染みさんがいらっしゃいましたよ」
 それだけ伝えると女性は篠田に部屋に入るよう目顔で促した。
 十畳ほどもある広い居間の中央には、あの頃店の中央にあった自在鉤じざいかぎのかかった炉が切ってあってその前におやじが座っていた。
 おやじは手にしていた新聞から目を上げ、老眼鏡の奥から上目づかいにこちらを見た。さすが長年の客商売で鍛えたおやじの眼力に狂いはなく、初老の風貌の中から青年の面影を見出すのにさして時間はかからなかった。
「?、?、し、しの、、篠田さんだね!!」
「はい、篠田です、お久しぶりです」
「こりゃあ嬉しいね、、うれしいね」
一回りも二まわりも小さく見えるがまさしくあのおやじがそこにいた。
 小さくなったおやじとは対照的なのがあのころ店にあった大きい囲炉裏いろりだ。それは部屋の中を圧倒していた。おやじの隠居間としては十分広いはずの十畳間が狭く感じるほどである。
「これ、店にあったものですね」
磨かれてあめ色の光沢を佩びた炉ぶちを手で撫でた。
「息子に店を任せたとき改装したのさ。今時焼き物に炭火を使っていては採算が採れないからね、ガスに切り替えたが昔の炉を捨てられず俺の部屋に置いたのさ。」
「まあこっちに寄りなさい今お茶を入れるから。あっ、いやあ、熱燗がいいよね」
 思いもよらない昔の常連客の顔を見た親父は嬉しそうだった。
 自在鉤じざいかぎ鉄瓶てつびんからは暖かい湯気が立ち昇っていた。
「よく訪ねてくれたね、うれしいよ、昔のおなじみさんに会えるのは、、、さあ、俺の晩酌の地酒だが一つ受けてくれんかね」
おやじの手はやわらかい炭火の温かさで湯気を立てているドウコの蓋をそっとずらせた。
 さしだされたお銚子は程よい傾きで篠田の杯を満たしてくれた。年季の入った職人の技だった。
「仕事でお出でかね、、」
「いえ、いえ、この六月で定年になりました」「いやあ、そうですか、、篠田さんが定年ねえ、、、あっ、ははは、そうか俺も隠居だもんね!」
 おやじは小さく頷きながら遠い昔を振り返るふうであった。
「実は後輩が知らせてくれましてね、私達が測量して川の切り替えをやった所を、また元に戻す事になったそうですね」
「ああ、あれかい、そうなんだよ。何とかいう法律が出来て、あそこ、茅沼かやぬまが戻しやすいとか言う話で、実験的に今年から始まるそうですよ」。
「そうですか、ちょうど切り替えて通水を始めた頃にラムサール条約に登録されるなんて皮肉な話ですよ。あの頃でも、こんな大掛かりな工事が必要なのかなと思いましたから」
「そうね、篠田さんたち測量の方が引き上げたあとに入った工事の人達の中にも心配する人はいましたよ、私の店は関係する人がたくさん来てもらって有難かったですがねえ」
「時代が変わったと言うか、風向きが変わったと言うか、仕事は定年で区切りは付きましたが、何と言うか、気持ちの問題でしょうが、私が責任者で最初に持たされた仕事だったこともあって、、新聞の記事を見ているうちにどうしても、復元しなければならなくなったわけと湿原の今を、自分の目で確かめておきたいなと思いましてね。それで昔のリュックかついでやってきたというわけです」
「そうですか、そんな話聞けば誰だって気になりますよね。こんな事って前代未聞のことですよ、、それでご予定は?」
「二日ほどあちこち見て回りたいと思ってます、昔泊まってた旅館を探して行ってみたらビジネスホテルになっていました。あそこのご主人なら、その後の話を聞かせてもらえるかと思っていたのですが、、、」
「ああ、旅館お止めになって、十年ほどになりますかね、なんでも娘さんが教育大学の傍で学生下宿やってましてね、そこにいらっしゃるような話を聞いたことがあります、お店にこられたお客さんの話を小耳にはさんだだけですから詳しいことは、、」
「そうですか、三十年ですからね、昔の様子を知ってる人などなかなか見つかりませんね。もう一人、私たちが借りていた現場事務所で賄いやっていた『きよさん』という方に会えたらなと思っていたんですが、、当時で四十代半ばくらいだったから、お元気でも八十に近いお歳になりますか」
「ああ、『きよさん』ね、お名前に記憶はありますけど、、確か当店うちに山菜とか、ヤマベの簾干すだれぼししや燻製くんせいを入れてくれていた、由蔵さんて方のお身内のような話を聞いたことがあります」
「そうなんですってね、私は偶然その由蔵さんのお孫さんの隆君に測量中に出会いましてね、何度かアメマス釣りを教わったりしました。なんでも、丁度切り替えになる川筋あたりが彼の釣り場だったことで、魚はどうなるかとか、ザリガニの棲家が干上がったらどうなるか、川底の貝から、葦原に巣くった渡り鳥がどうなるかまで聞かれました。今回もその隆君に是非あって当時釣りをやった川がその後どう変わったか、川筋の様子などを聞きたいと思ってるんですよ」
「そうですか、そのお孫さんの事は由蔵さんからよく聞かされましたよ、釣りが大好きで何時もついて来るってね、これも孫の隆が釣ったんだと、大きなヤマベを自慢そうに見せてくれたりしました。その由蔵さんも、私が隠居する少し前にお亡くなりになって、それ以来当店うちでも山菜や川魚の料理が出せなくなりました」
「そうですか、あの頃私は事務所と湿原の中と、ここと、旅館とを行ったり来たりの生活でしたから、お付き合いした人もなく、話を聞きに行くにも限られていますので、隆君には是非会いたいのです」
「由蔵さんのところもいろいろあって、由蔵さんが亡くなった後、それまでも殆どの搾乳牛をあずけてあった従兄弟に牧場を任せることになったようです」
「そうですか、そう言えば牛の世話が出来ないから叔父さんの牧場に預けてあるんだって隆君から聞いた事がありました」
「その隆君は牧場経営より土木建設に興味を持ち、工業高校に進んで、さっきの話の『きよさん』が働いていた標茶しべちゃの建設会社に勤めたと聞いています」
「そうですか、ぜひ会いたいな」
「隆君と篠田さんが知り合っていたとは今初めて聞きました。今思うと、子供心に篠田さんたちの仕事振りに憧れたのかもしれませんね」
「さあどうですか、ただ湿原の中を測量していただけのことですから、そんなに良く見えるはずもないでしょう」
「その会社の人は当店うちによく来てくださいます、隆君は近くの開拓農道の整備工事で、その会社が大手と組んだJVのチーフでやってるとか言ってました。今日も誰か彼か来ると思います、後で店のものに言って連絡取れるようにしておきます」
「よかった、お願いします」
 篠田とおやじの昔話は止まることなく続いていた。

  隆と由蔵
 シラルトロ湖を見下ろす小高い丘に囲まれた牧草地の入り口に、隆と由蔵の住む古びた家がある。かってこの地に入植した由蔵夫婦が、苦労をしながら開いた牧場だった。
 由蔵の親は戦時中標茶しべちゃにあった軍馬補充部で馬の世話や調教をやっていた。終戦の年にこの組織は解散され、広い管理牧場や農地が解放された。本州の軍馬補充部に徴用されていた由蔵も復員し、同じように復員した従兄弟たちと一緒に、夫々が払い下げを受けた土地に一家を構え入植開拓することになった。幼馴染の嘉代と所帯を持ち入植することになった由蔵に、父親はお祝いに一頭の農耕馬を与えてくれた。さすが専門家のメガネにかなっただけあって由蔵が牧場を開く作業にかけがえのない相棒となっていた。周囲の大木を切り、抜根作業が毎日続いた。なかには火薬抜根をするところもあって、ドーン、ドーンという爆発音が山に響いた。この作業は大きな木を切り倒した後、根の部分に穴を掘り、発破を詰めて爆発させるもので、由蔵は馬が驚き嫌がるので一切やらなかった、手作業で根きりをしてロープを架け、馬を励ましながら引き抜くのだ。
時間がかかるが人馬一体のこの作業は由蔵には楽しかった。良き開拓の相棒だったこの馬も牧場がその形が出来上がったある秋にその一生を終えた。由蔵の住む家から眺めると西にあたる牧場の片隅にイタャカエデと北コブシの大木があった。夏の日の午後には西日をさえぎって日陰が出来る場所だった。そこが馬のお気に入りで、牛たちが東側の水のみ場に近いところに屯するのから離れていつも静かに牧草を食んでいた。この場所は春先になると真っ先に北コブシが白い花をつけ、秋には西日に映えるイタヤカエデの真っ赤な色付きが見事だった。
 由蔵はこの場所を選んで、馬頭観世音ばとうかんぜおんと彫りこまれた一抱えもある自然石の石碑を建立した。長年開拓の苦楽を共にした愛馬はここに眠っている。
 従兄弟達も丘一つ向こうの二キロほど離れた所で牧場を始めていた、忙しい農繁期にはお互い助け合いながら厳しい道東の開拓に励んでいた。
 広大な道東の原野でも別海地域べっかいの大規模牧場とは対照的な農家だ。大きな収入も無いが莫大な借金も無い。機械に頼らない家族労働でそれに見合った頭数の牛を育てる。豊かとはいえないが自然に囲まれた平和な農家の営みが其処にはあった。入植した翌年には娘のみどりが生まれたが、丈夫ではなかった嘉代にはその後子宝に恵まれなかった。従兄弟のところには三人の男の子が次々に生まれた。これが先々の牧場経営の人手の差となってしまった。やがてみどりは地元の農業高校を卒業し由蔵の片腕となっていた。
年頃の女の子が都会の華やかな生活に憧れ、田舎の生活を嫌うのが一般的な風潮だったが、子供の頃から牛舎や牧草畑で育ってきたみどりは牧場で牛と暮らすのに何のためらいも無かった。高校も自分で農業高校を選び、将来は叔父の牧場のように乳牛の頭数を増やすことに夢を託していた。朝早くから牛舎での作業に精出すみどりにはお気に入りの薄いグリーンのつなぎが良く似合っていた。由蔵はみどりに良い相手の現れるのを楽しみに、将来の牧場経営に明るい希望が見えてきていた。
世の中が高度成長期から安定した時代に移ってくると、北海道の自然に多くの若者の目が向けられ、自転車やバイクで自由気ままな旅をするのが一つのブームになった。大学が夏休みに入ると自転車に寝袋やキャンプ道具一式をつんだ若者達がユースホステルを中継しながら道内を旅していた。中にはユースホステルにアルバイトで雇われ居付いてしまう者や、紹介された農家で旅行資金調達のため農作業をする学生も多かった。農家の方も農繁期の得がたい労働力として受け入れ、数年間毎年その時期に同じ学生が同じ農家にやってくるのも珍しくなかった。無銭旅行にひとしい学生の単なる旅費稼ぎの場合と、広い北海道の大地で大型機械化農業や、大規模酪農を志す若者が実習を目的としている場合とがあった。元々夫婦二人だけの労働力では足りない由蔵の牧場では、農協を通して地元で言うところの『出面でめんさん』に頼るところが多かった。そんな時、声をかけてあった『ユースホステル湖畔の宿』の主人から紹介されて一人の大学生がやって来た。
 大阪の出身で帯広畜産大学の学生広田克夫である。広い北海道で牧場を経営するのが夢で、都会の大学には目もくれず帯広の畜産大学にやってきたのだった。それまでも夏休みにはあちこちの牧場を訪れ実習を兼ねたアルバイトをしていた。その年は由蔵の牧場を紹介され、朝早くから夕方の搾乳が終わるまで熱心に『湖畔の宿』から通ってきていた。
 克夫もその夏は二ヶ月ほどで大学が始まる前に由蔵の牧場から去ったが、その翌年の正月、世話になった由蔵に出した年賀状の返信に、あまり丈夫でなかった妻が風邪をこじらせ肺炎を併発し急逝したので欠礼すると言う、由蔵からの知らせがあった。男の子のいなかった由蔵夫婦がただ単にアルバイトの学生を雇った、という以上に親身になって息子のように接してくれたのが嬉しかった克夫は、その年の夏休みに入るや早々に弔問をかねて、さらに人手が減って大変だろうからと再び由蔵の牧場を訪れた。さらに克夫には昨年わずかな期間だったが一緒に働いたみどりのへの関心が大きなウエイトを占めていたこともあった。若いみどりの牧場経営への意欲に感心するとともに一緒に夢を実現したいという気持ちが芽生えはじめていたのだ。
 根釧原野こんせんげんや別海地区べっかいといえば日本でも有数の大規模酪農地帯である。その大規模酪農に憧れていた克夫だったが、作業の合間にみどりや由蔵と交わす話の中で、莫大な経営資金をつぎ込んだ機械化万能の酪農とは違った酪農があることを知った。そこには道東の大地に生きる、人と牛とのおおらかな関わりが生き生きと営まれ、一味違った酪農経営のあり方に心引かれていったのだった。
 みどりも克夫との再会を心待ちにする気持ちがあって、それは自然の成り行きのようであり、また突然嘉代を亡くした由蔵にとってもそれは期待するものであった。
 克夫は昨年と同じ赤いオフロードの自転車にサイドバックを付け、その上に寝袋を載せたスタイルで、『らんらん納豆』を手土産にしてやって来た。それは十勝産の小豆を原料とした甘納豆で、地元帯広はもとより全道的に有名な老舗六花亭ろっかていの看板商品であった。パッケージは、その昔収穫した小豆を、カマスに入れ縄がけして出荷したのを模したもので、由蔵夫婦のお気に入りでお茶の時に好んで摘んでいた菓子だった。
克夫君が来てくれたよ、とさっそくそれを仏前に供える由蔵の指は節くれだった開拓者のものだが、縄掛けを模した細い紐を解き、菓子器にのせるしぐさは思いのほか器用な指の動きだった。傾いた小さなカマスから白い砂糖をからんだアズキがこぼれ出た。お茶を運んできたみどりがその背に添うようにして嘉代の位牌を見上げていた。克夫は二人の背に言いようのない寂しさを見て昨年の夏のことなどを思い巡らせ、いっそう心に決める思いを確かなものにしていた。その夏、傾斜地にあったサイレージ用の牧草地と放牧地を入れ替えた。土壌の研究をしている克夫の意見であったが牧草の生育も良くなり、作業も格段に楽になった。少し傷みが出てきているサイロの補修をどうするかなど、二人の真剣な話合いに由蔵は、助言をしながらも大きな安堵感を覚えているのだった。
 由蔵は朝晩牛舎での作業の時、何気なく取り交わす会話から、それとなく克夫の家庭環境を聞きだしていた。若い二人の意思が固まれば養子縁組も可能だろうとの思いを固めていた。先々の酪農経営にしっかりした展望を持つ二人に年齢は若くても十分任せられると思うのだった。みどりの気持ちを確かめた由蔵は来春克夫の卒業をまって結婚させようと、古くからの友人である『ユースホステル湖畔の宿』の主人に両家の仲立ちを頼み込んだ。
 由蔵の頼みに、ここ二年ほど、克夫の様子を見ていたユースの主人は一も二もなくその話に賛成し、早速克夫の実家を訪ね了解を取り付けてくれた。克夫の実家でも三男坊の克夫の夢である、北海道での酪農を実現する足がかりとして歓迎する話と思えたのだった。翌春、克夫の卒業式に参列する両親を招き、ユースの仲間達に祝福されささやかな結婚式を挙式した。
 やや関西訛りののこる克夫のしゃべりと人見知りの無い性格は、おっとりとしたみどりの人柄と共に、あたりの入植者との付き合いに容易に溶け込んでいったのだった。
 やがて若い二人の間に隆が生まれ、由蔵も嘉代を失った気落ちから立ち直り牧場の先々に明るい兆しが見えていた。
 今までは牧場仕事に従兄弟らの手を借りてばかりだった由蔵も暇を作っては従兄弟の牧場の手伝いに出かける余裕も生まれていた。 そんな時きまって由蔵の後を追うように小さな隆がついて歩いていた。由蔵もそれが嬉しくて、行き帰りの道を歩きながら虫の話や小魚の話、鳥の話を聞かせるのだった。隆が初めてザリガニを採ることを覚えたのも牧場への行きかえりにある沢でだった。
 この幸せな生活が隆が小学校四年の冬に大きく崩れた。
 所要で釧路に出かけた克夫とみどりが帰途の雪道で交通事故に遭い不幸にもみどりが亡くなり、克夫も重傷を負ったのだった。ゆるいカーブの上り道を登っている所に、下ってきた大型のトラックが、アイスバーンでスリップして横向きになって衝突したのだ。避けようの無い不運な貰い事故だった。出先で酒の入った克夫が運転をみどりに任せ助手席で仮眠していたときのことだった。右足を圧迫骨折した克夫の傷は膝が自由に動かない後遺症をもたらした。
 この事故は克夫に足の傷よりも大きな心の傷を残した。みどりに運転させたのは自分が酒を飲んだからで、まして助手席でうたた寝をするなど雪道での十分な注意を怠ったことが原因だと自分を責めるのだった。
 共に酪農を志す辺りの仲間たちも不慮の事故を悼み由蔵の心中を察するとき慰めの言葉も無かった。
 目にいっぱい涙をため、渡された母親みどりのジャンパーと毛糸の帽子をしっかりと握り締める隆の姿が涙を誘った。
 この日から由蔵と隆の環境は大きく変わっていく。リハビリを続けた克夫の努力も良い結果に結びつかず、将来牧場を経営していくのは無理だとの結論に至った。克夫の大学の先輩が道央の農業高校にいて、地区の農業改良普及所の研究員の口を紹介してくれた。長年培ってきた克夫の草地土壌の研究が思わぬところに実を結んだのだ。
 由蔵と克夫は隆が一人前になり牧場の経営を任せられるようになるまで、夫々が出来る一番良い方法と考え、搾乳牛はすべて従兄弟の牧場に預け、由蔵は肥育牛数頭の世話をする方針を決めた。克夫は任地に単身で赴任した。隆が牧場で由蔵と生活することを選んだのは、子供ながらも将来牧場の再興をすることが母親みどりの意思を継ぐことになるのをよく理解していたからだった。
 その日から由蔵の仕事は数頭の肥育牛の管理と僅かばかりの畑作業である。その時間以外は周辺で採れる山野草の中から漢方薬になる草木を採集し、乾燥させたものを市内に古くから在る薬種問屋に卸した。『どくだみ』、『げんのうしょうこ』など頼まれた種類の草木の採取をするだけでなく、見よう見真似で自家用の薬を幾種類か作っていた。釧路町の古道具屋からでも見つけてきたのか今時珍しい古い薬研やげんを持っていた。オオバコをすりつぶしては咳止め、熱さましに使ったり、よもぎの白い穂の部分は血止めや、お灸のもぐさに使ったり、その他にもいろいろな使い方があったようだ。また湿原の中を流れる大小の枝川で季節毎に幾種類もの魚を釣ってきた。それらを簾干すだれぼししにしておいて、薬草を届けに行くとき一緒に市内の居酒屋に届けていた。
 春夏秋冬どこで何が採れるか、由蔵は熟知していた。隆も由蔵と二人きりの生活では、少なからず寂しさを感じながらも逞しく成長していった。
 かって由蔵について歩きながら覚えた湿原での遊びが何より大好きで、ザリガニの隠れているところ、キタサンショウウオの棲んでいるところ、ヤチウグイやトミヨなどの小魚がいる古川、湿原の王者イトウが現れる淵、よくカッコウがコヨシキリの巣に托卵するヨシ原など、彼の行動範囲は広い。
学校の帰りは国道をそのまま行けば近いのに村道から枝道に入り、ヤチハンノキの茂っている小さな丘を抜けて川岸に出る。落ちていた手ごろな小枝を手にして草むらを意味もなく叩きながらスキップしていく。災難なのは驚いて飛び出した蛇や蛙で、手ごろな遊び相手にされ、執拗しつように追いかけられてしまう。
立ち木の洞で昼寝をむさぼっているエゾモモンガも例外ではない。夜行性の習性も隆の習性にはかなわない、幹を叩く音で慌てて飛び出し、闇雲やみくもに逃げ回る。川岸近くなると背丈以上に伸びた葦の隙間に目印の紐を探す。そこには簡単な釣り糸が仕掛けられてあった。 そこを通る釣り人にも気づかれないように巧みに沈木の裏側から水中に伸びている。獲物のほとんどがアメマスだが、ザリガニやカラスガイの時もある。大物がかかっていれば大成功、夜のおかずが確保されるわけだ。かかっていなければそのまままた放り込んでおく。やがて川岸近くまで張られた牧柵と草を食む牛達が見えてくる所に、ちょうど電牧のうえを跨げる高さの丸太が立てかけられてある。隆はその上を簡単に飛び越えた。少し離れた所で草を食んでいた数頭の牛の群れから一頭が彼の方にトコトコと駆け寄ってきた。叔父さんが経営しているこの牧場で飼育してもらっている隆の牛だ。生まれたときから隆が世話をしていて名前はベーべだ。他に乳牛が数頭がいる。牛舎に寄り大きなストッカーから一升瓶に詰めてあった牛乳を取り出し、牛舎の横に停めておいた自転車のサイドバックに入れた。この時間は朝の早い酪農家にとって夕方の搾乳時間までの僅かな休息時間帯で、牛舎には牛も人影も無い。
自転車は古い型のオフロードだがよく手入れが行き届いている。隆にとって父親を身近に感じられる唯一の品なのだ。離れて生活する克夫も、隆からの手紙で自転車や牧場の機械が壊れたと知ると、それを絵に画かせ部品といっしょに修理の方法を詳しく書いた手紙を送ったりしていた。このことは後年隆が、土木機械の技術者として、CADを駆使した設計図作成にセンスの良さを見せる要因になっていたのだった。朝学校に行くとき一升瓶を預け、その日の天候が良ければ自転車もここに置いてゆく。帰りに大好きな森の道から川岸の道を今日のようにゆっくり楽しんで来る都合があるからだった。ここから家までは約一キロほどの山道が続く。
 ほとんどの場合、山菜取りや釣りに由蔵は一人で出かけた。湿原の中には何箇所か干し場がある、谷地やちハンノキが低く枝を伸ばしているのを梁に利用し、束ねた葦をその上から架け屋根のようにした簡単な物だ。地上から窺うキタキツネが立ちあがっても届かぬ高さで、空から狙うカラスやオジロワシには逆木のように尖った茎が邪魔になるように出来ている。釣った魚はここで処理し後日回収して歩くのだ。
「隆、そろそろ鯉が寄ってるか見てくるべ」、 めったになく機嫌の良い由蔵が誘ってきた。何時もなら由蔵が釣りに出かける支度を始めたら勝手に隆もついて行くのだが、誘われた事で一人前の釣り師になったような気分で嬉しかった。
 気が変わらないよう隆は黙って立ちあがり、入り口の鴨居からつり竿を下ろした。由蔵はバイクで、隆は自転車だ、荷台にはゴムバンドで竿を固定できるようになっている。由蔵は馬がいた頃、街に出かけるときに物入れに使っていた厚手のキャンバス地で出来た鞄をいまも大事に使っていて、いろんな釣りの仕掛けが入っている。
 通い慣れた岩魚いわなの釣り場へ行く道から別の道に入った、葦を掻き分けながらごくわずかに残る踏み跡を頼りにしばらく行くと、急に視界が開け小さな沼が現れた。沼と言っても大きなものではなく細い川が何本か湿地に合流して出来たものだ。
 細いが深さはかなりありそうな小川が覆い被さった葦の葉陰にくねくねと本流の方角に伸びていた。
 静かな水面にはネムロコウホネの葉が一面に敷き詰められ、水面との隙間から伸びた茎には丸いボールのような黄色い花が開いていた。由蔵は谷地坊主やちぼうずの乾いた塊に腰を下ろし、腰の手ぬぐいで額の汗をぬぐいながら視線は中ほどに咲いている黄色い花をじっと見詰めていた。
 すると時折その花が小刻みにふるえ、静かな水面に波紋が広がっては消えた。また少したつと茎の周りの水面が波立ちはじめ、花の揺れが大きくなった。
 すっと立ちあがった由蔵が、手にしていた短目の竿を一振りすると、茎の横にわずかに開いている水面に鈎針が着水した。タイコと呼ばれる由蔵愛用のリールを、カチンと音をたてて巻き取り位置に戻すと一呼吸をおいてグイッと竿を持ち上げた。一直線に伸びたラインの先で水しぶきが躍った。鉛の錘の先には鯉つり用の吸い込み針の仕掛けが短く結んである。由蔵考案の新兵器は、産卵に集まってきて水草の中にささりこんだ鯉の胸ひれのあたりにしっかりと食い込んでいた。丈夫な太目の竿と糸は暴れる鯉の動きを制し、水草の隙間をたくみに手元まで寄せてきた。さっと手鍵をえらの下側に打ち込むと五十センチあまりの鯉が岸辺の草むらで踊った。
「今夜は”あらいと鯉こく”だな」
 隆を振り返って由蔵は言った。
 葦の葉陰から甲高い小鳥のさえずりが聞こえていた。
「ムシクイが鳴いているな」
 由蔵はうれしそうに笑い、隆は由蔵の見事な竿さばきに見とれていた。
(センダイムシクイの鳴声は、ショウチュウイッパイグイーと聞こえると言われている)

  晩秋の湿原
 もう何年になるだろうか、隆と由蔵の二人だけの生活にもそれなりの年季が伺えるようになったある年の晩秋の頃だった。
 その日は朝から湿原の上に雪雲がたれこめ、どうやら今年初めての雪になりそうな気配だった。学校に出かける支度をしていた隆に由蔵が言った。
「今日は雪だ、谷地やちの方は根雪になるかもしれんで、干し場の始末しに行ってくる。帰ったら飯炊いて置けや、夕飯は簾干しの天ぷらだ」
「わかった、シラルトロの干し場だね」
 学校から帰った隆は言われたとおりに飯を炊いたが由蔵はなかなか帰らなかった。納屋を覗くと由蔵のバイクが見えない。やはり出かけたままのようだ。よし、俺も行って見よう隆は自転車を引き出した。どうせ途中で帰ってくるのに出会うだろうが家にいても仕様がない、行動派の隆の決断は早い。ちらちら舞っては溶けていた雪だったが、日陰の道路には白く薄く積もって車輪の跡がくねくねと残った。干し場のある方が見渡せる小高い丘の上にきてもバイクの音はしない。そこからはゆるい下りの坂道が葦原のなかに続いていた。ゆっくり下っていくと程なく由蔵のバイクが道端に停めてあるのが見えた。
「なんだ、まだ何かやってるんだ」
 隆も自転車を其処において細い踏み跡伝いに干し場に向かった。その辺りは一面ヤチ坊主とヤチハンノキが群生していて、その先には狭い川が流れている。ヤマベや岩魚が良く釣れる場所で由蔵や隆の一番の漁場になっていた。しかしこの場所でも湿地の乾燥化の影響を受けて、川の水量が以前に比べると少なくなり、魚の数も種類にも変化が見られるようになってきていた。いつからか湿原のヤチ坊主と言う名が観光客にも知られるようになったが、それはスゲ類の根っこが冬季間に凍上で持ち上げられたもので十年で一センチほどの成長といわれている。今朝からの雪はそれほど降ったようでもなかったのに、そのヤチ坊主の上にはうっすらと雪が載っていた。 そのかっこうは、雪国の昔話や民話の絵本でよく見る、藁で編んだ雪よけ蓑をかぶった子供がちょこんと座り込んでいるように見える。
そこから五十メートル程葦原を入った処に大きく伸びたヤチハンノキがある。横向きにのびた太い枝に葦の葉を屋根状に乗せ、回りをヨシズで囲んだだけの簡単な干し場が作ってあった。由蔵はそこの直径が30センチほどのハンノキの幹に、もたれるよう座り込んでいた。頬当てのついた帽子にうっすらと雪が載っているのをみると、相当長い時間動かずに居たようだ。その格好は少し大きめのヤチ坊主に見えた。驚いた隆が声をかけた。
「じいちゃん、どうした、何してるの」
「ああ、来たか、隆の来るの待ってたんだ」
「どこか具合悪いの、怪我したの」
「うん、吊るしてあった簾を下ろしてたらな、ぎっくり腰になった、痛くて歩けない」
「いやあ大変だ、どうしたらいいの」
「隆が背負ってくれても歩けないから、山さんちのドサンコ馬車借りてきてくれや」
「わかった、山本の兄ちゃんに手貸してもらうからちょっとまっててや」
「ああ、そうしてくれ、隆、その簾の横に下がってるビンとってくれや」
「うん、なんだいこれ、水かい、飲むの」
「ああ、爺ちゃんの薬だ」
「なんだ、焼酎か、じゃあ身体暖めて待っててや、すぐ来るから」
 隆は今来た道の途中から分かれた丘の上にある山本牧場に自転車を走らせた。
 隆にわけを聞いた山本の兄ちゃんも驚いた。「なにっ、由蔵さんがぎっくり腰だって」
「うん、僕だけでは動かせないから、手かしてや、ドサンコの荷馬車頼むって祖父じいちゃんが言ってた」
「ああ、分かったすぐ支度するから待ってろ、簾干しおろしていてぎっくり腰か、今日は寒いからな腰冷えたんだろう」
 山本の兄ちゃんは厩に走った。小型のドサンコにあわせて作った荷馬車がある、それは古いリヤカーを改造したもので狭いあぜ道でも軽快に走り回れるものだった。隆の自転車の後を追うようにドサンコはトコトコとついてきた。
 由蔵はさっきの姿勢のままでビンを抱えて座っていた。隆が渡したとき半分はあった四合ビンの焼酎はあらかた空になっていた。
「由蔵さん大丈夫か、ぎっくり腰だって、ずいぶん痛み止め飲んだな、その格好はでけえヤチ坊主にみえるぞ」
 山本の兄ちゃんは励ますようにわざと笑いながら声をかけた。このまま病院まで行ってやると言うのに由蔵は家に戻るといって聞かなかった。以前から由蔵は釧路の漢方薬の店から頼まれて、付近の山野で薬草をを採取したりしていた。そこから分けてもらった秘伝の薬があるというのだ。
 山本の兄ちゃんは、痛む腰にひびかないようにと、走りたがるドサンコをなだめながら家まで送ってくれた。
「由蔵さん、言い出したら聞かないから寝かしときな、明日でもまた様子見に来るから」
 お互い困ったときは何事も助け合って生活するのが開拓者の慣わしだが、決して押し付けや無理強いなどをしないのも生活の知恵として良く知っている。後は隆にまかせた兄ちゃんはドサンコの荷台から手をあげた。来るとき、走りを抑えられていたドサンコは軽快な足取りで少し日の落ちた細い道を走り去っていった。居間に落ち着いた由蔵は布団に横たわってしばらくすると隆に棚に上がっている薬箱を下ろさせた。それは置き薬の箱とは別で由蔵の言った漢方薬の薬箱だ。取り出した包みを薬缶やかんの水にひたしストーブにかけさせた。
「これ飲んで寝てれば直る、大丈夫だ、干し場から持ってきた岩魚いわなで粥だ、天ぷらはこの次にしよう、隆、芋粥作ってくれ」
「うん、わかった」
由蔵も隆も飯のしたくは手慣れたもので、やや大きめにきった馬鈴薯をたっぷり入れた芋粥が出来るのにさほど時間はかからない。 ストーブに載せてあった四、五匹の岩魚いわなから油が滴り、香ばしい匂いがするのをそのまま鍋に放り込んだ。怪我をしても何時もと余り変わりの無い隆と由蔵の夕食が始まった。
晩秋の朝夕はかなり冷え込む。居間には年中そのまま置いてあるダルマストーブに火が入っていた、真冬には火力の強い石炭が燃やされるのだがまだその辺で拾い集めた雑木の薪が燃やされていて空気取りの窓から赤い炎が瞬いていた。翌日、隆の学校に出かける時間を見計らったように山本の兄ちゃんが様子を身にきてくれた。
「由蔵さん動けるかい」
「ああ、昨日は世話になったなあ、まだ痛いけど大丈夫さ、隆も学校さ行けや」
「そうだ、隆君、学校さ行く時間だ、俺しばらく遊んでくから、それに昨日作ったいなりずし持ってきたから弁当に持ってけや」
「うん有難う、じゃあ行くよ、じいちゃん、煎じ薬の薬缶やかん、ここにあるから飲むとき兄ちゃんに取ってもらいな」
由蔵の容態も、昨日の今日だから痛みが治まったとは言えないが居間で横になっている分にはそれほど苦痛ではなさそうだった。

釧路は北洋漁業の基地として知られるだけでなく、太平洋炭鉱の海底炭が大きな産業として知られていた。昔は秋口になると、街には家庭の暖房用に使う石炭とかコークスを運搬する荷馬車がしきりに往来する風景が見られたものだ。馬産地の大楽毛おたのしけが衰退するにつれ、それもトラックに代わり、今度は石炭産業が低迷するようになると灯油配達のタンクローリーが取って代わったのだ。しかし今でも熱量の大きい石炭を愛用している家庭や事務所も少なくない。
 本格的な冬になるとそのダルマストーブで石炭が燃やされ、丸いふくらみのある胴が赤くなるほどの火力で部屋中を暖めるのだ。当時街中の家々では裏口の脇に石炭小屋があった。小屋と言っても軒先の壁を利用した間口一間程に仕切った囲みのようなものだった。 石炭を取り出す側の左右の柱の内側に柱に添って少し厚みのある板が下から上に積み上げる様になっていて、中の石炭が板の支えになり、石炭が減ると上から順に板を取り除いていく仕掛けだ。また別の作り方では一番下の板にスコップの入る大きさの取り出し口があって、下から順に取り出す作りになっていた。由蔵の家では塊炭が窓の下に山積みされている。きまった場所に格納しなくても誰からも文句を言われない農家の特権である。当時は運搬してきた馬車も、その場で鞍に結んである馬車の支えを外し、荷台を斜めに傾けるだけで石炭はザーッと降ろす事が出来たが、今ではその作業も小型ダンプに代わった。
 しかし吹雪がくると一夜にしてその上に雪が積もり、掘り出さないとならなくなるのは同じだ。家の中には石炭を入れておく木箱が用意されていて、空になると戸外の雪山の下から石炭を補給する。附着していた雪や氷が室内の温度で融けだすと、石炭は適度の湿り気を持った黒々とした光沢を増し、同時に燃焼する火力も強くなる。この石炭の補充は隆の仕事だ。秋口は窓の下に積んである薪を燃やし、寒さの厳しくなる冬には石炭が暖房の主役になる。来春の雪解けまで部屋の中心におかれたダルマストーブを囲んだ生活が始まる。由蔵の定位置は西側の窓際だ。座布団の周りに広げた新聞紙には、それまで採取したまま梁に吊るしてあった薬草の束が並べられ仕分けが仕事になる。乾燥して硬くなった実や茎をすり潰すのに使う薬研やげんと、それを入れる新聞紙を三角に切って張り合わせた袋が置いてあった。
「隆、ぎっくり腰のとき山本の兄ちゃんには世話になったから、正月の昆布巻きにでも使ってくれってヤマベの簾干し届けてくれや」そう言って由蔵は片隅の紙包みを顎で指した。「ああ、解った、明日届けるよ、兄ちゃん何してるかなあ、、」
「なあ、隆よ、あん時はぎっくり腰で動けなかったんだが、じいちゃんも歳だ、いつぽっくり逝くかわかんないぞ、そん時どうする」
「えっ、何を急に、、びっくりするなあ、、」「いや、冗談でないぞ、いつか言っておこうと思ってたんだ、此処ではお前と二人だけだからな、、」
「そうだけど、祖父ちゃん元気だろ」
「うん、まあな、でもわかんないぞ、そんな時は牧場の叔父さんと、克夫父さんにすぐ電話するんだぞ」
「うん、それっくらい解ってるよ」
「そうか、それでいい、その後は父さんや、叔父さんがやってくれる、善徳寺のひげ坊主の源は同級生だしな」
 ストーブをはさんで反対側の座り机のまわりが隆の領域で、使い込んで表紙の四隅が磨り減った昆虫図鑑や魚図鑑などが並んでいる。窓から見えていたきれいに色づいたイタヤカエデの押し花が挟んであった。いきなり由蔵に思いもしなかった話をされて隆は途惑った。でも考えれば、無いとは言えないことだ。すっかり由蔵と二人きりの生活に慣れてしまっていた隆は急に離れている克夫に頼りたくなった。今までもそんな時、隆はよく納屋に行った。納屋の奥のほうには農機具が置いてある。そこは昔、馬小屋として使っていたところで、梁や壁には昔の馬具などが架かっていた。馬橇を曳くときの舵棒を支えた首枷には幾つかの鈴が付いていて馬の走りでシャンシャンと軽やかな音を響かせたものだ。
 また農機具の修理に使う工具類も道具箱にはたくさん入っていた。ほとんどは由蔵が集めた物だが隆の専用の工具もあった。父親の克夫から貰った自転車の修理用具だ。壊れた部品の取替え手順なども詳しく書かれた手紙もあった。それらを読み返しながら、分解してグリスを入れたりシールの交換をするのが楽しかった。それらの作業は隆と父親との会話そのものであり、かぶった帽子からは母親のぬくもりが伝わってくるのだった。
 由蔵に頼んで一個貰った馬の鈴は、綺麗に磨かれ真鍮の輝きを増して自転車のハンドルに付いていた。
 暑い夏の湿原でも放さなかった赤い毛玉のついた毛糸の帽子も、朝方霜柱の立つこの頃には似合ってきた。年中かぶっているのであちこち枝に引っ掛けてボロボロになりかけていても母の形見のこの帽子を隆は離そうとはしなかった。春を待つ二人の生活ではお互いにやるべき仕事がいっぱいあるのだった。

    晩秋の釣り
 この頃になると一日のうちでも釣りが出来るのはごくわずかな時間にかぎられてくる。朝のうちは無風でもお昼頃になると風が出てくる。ときおり川岸の葦の葉がざわざわと音をたて、遮るものの無い晩秋の湿原を走る風は冷たい。秋雨が川面を上流から下流へと漣を立てながら通りすぎていった。この秋すでに幾度めかの霜にあたって色あせた葦の葉に、つめたい雫が流れた。
 この時期この場所は、越冬のためさかんに捕食するイトウが、餌場としているのを由蔵はよく知っていた。川面から水蒸気が靄のように立ち上がり、あたりが霞んで見える早朝から、葦の繁った川岸にその姿はあった。日の出の時間がとうに過ぎているのに日差しは濃い霧に遮られたままである。こりゃあ本降りにならないうちに引き上げたほうがよさそうだなと対岸の淀みのあたりに飛ばしたルアーに目をやった時、急に少し手前の水面がざわついた。それは風に流されながら水面に飛沫を残していった先ほどの時雨しぐれとは明らかに違ったものだった。小魚の群が水面すれすれに浮き上がり右往左往している。
 きたな!!、水面下のイトウの精悍せいかんな顔つきを思った。そこには川面を逃げ惑う小魚に狙いをつけた金色のに縁取られた二つの眼があるのだ。竿先を微妙に操り、逃げる小魚の群れから少し遅れた位置につけてルアーを引いた、それは群れから逸れた小魚を思わせる動きだった。
 そのとき『ぐっ、ぐぐっ』重量級のパンチを思わせる鈍い衝撃が竿に走った。由蔵の顔がほころんだ、あいつだ、春先にルアーの手前で反転していった小憎らしい姿が思い出された。いきなり竿先を水中に突き刺すように沈め、ラインを川底に沈めたまま巻き取っていた。底流そこながれれにうまく乗せて足もとの浅瀬に持ち込もうとしたのだ。ラインを水中で巻き込む由蔵のテクニックは水面で跳ね上がり反転しながら針を外す、老獪ろうかいなイトウに勝った。岸辺の水草の中まで持ち込まれ、身動きがままならぬイトウの口からフックを外した由蔵は一つフーッと大きく息をはいた。背びれ近くのうろこを一枚外し、大事そうに胸ポケットにしまった。尾に絡まった水草を丁寧に解くと、魚体を流心にむけそっと押し出すように放流
した。来春、岸辺に福寿草が芽吹くころの再会を願いながら、川底に消えてゆくその雄姿を見送った。尾鰭おびれの一掻きで水面に出来た大きな渦が消えたとき、もうその姿は見えなかった。

   出会の時
 戦後、標津原野しべつげんや別海地区べっかいには大型の機械化された酪農が奨励され、牛飼いに夢を託した人たちが入植した。一方根釧の原野にも農地開拓として入植した人たちがいた。しかし広大な釧路湿原に隣接するこれらの開拓予定地には、湿原と大差ない谷地と呼ばれる湿地もあった。これらの湿原周辺の畑地の水捌けを図るため、川筋を直線化する計画が早くから行われ、広範囲の工事なので数社の測量会社や土木工事の会社が分担していた。
 札幌にある測量会社からも篠田他数名の測量技師たちがこの工事に派遣され、広い湿原の中で測量を行っていた。予定されていた茅沼地区かやぬまの測量もほぼ終了し、直線化する終端部分に従来の蛇行している流れが合流する地点を残すだけになっていた。釧網線五十石駅せんもうせんごじっこくに程近いところにあった地元の土木建設会社の現場事務所の一部を借り、ここを拠点にして最後の測量を行っていた時のことだった。
 その日も早朝から予定地の測量ポイントに向かった。川筋を行き来するために強化プラスチックの小舟を使った。川岸に枝を伸ばしているヤチハンノキの太い幹に舟を舫って、弁当のおにぎりと水筒の入ったザックを担ぎ、トランシットを小脇に抱えて川岸にあがる。 釣り人が長年踏み固めた小道が、背丈以上の葦が一面に生い茂った中をくねくねと続いている。予備調査の時に打ち込んである目印の杭には上部に赤いペンキが塗られていて繁みの中でもすぐに発見できる。掘削する予定地点の基準点からは終点まで約1.5キロになる、三脚を固定し、手順どうりに整準せいじゅん求心きゅうしんをとり、距離と高低差を計測する作業を繰り返す。先行する助手とトランシーバーで連絡しながら赤と白に塗り分けられたポールを葦の茂みの中で探す作業が続いていた。やがて太陽は真上を通り過ぎ、朝霧に濡れた茂みを通るので作業服の上に羽織っていたビニールの合羽も要らなくなってきた。ふと気が付くと『のびたき』の警戒する鋭い鳴き声がすぐ後ろから聞こえた。一番高く伸びた葦の茎に横向きにしがみ付くようにして鳴いている。湿原では野鳥たちの繁殖期が始まっている。明らかに篠田を警戒しているようだ。近くに巣が在るのだろう。それ以外の音や動きは無く上空には真っ白な夏雲が流れていた。少し遅くなったが昼食にしようとトランシーバーで助手に連絡しようとした時だった。覗いていたスコープの中に風に靡く葉の動きと違った枝の動きが見えた。釣り人がいるのかなと目を凝らすと何か赤い物が動いた。朝から赤い目印やポールを見続けていたので敏感に反応したのだ。なんだ丹頂鶴たんちょうつるか、そう思ったとき大きく揺らいだ葦の葉陰から突然現れたのは子供だった。毛糸で編んだ白と黒の縞模様の帽子の先で赤い毛玉がはずんでいた。まるで立ち止まって首をすくめた丹頂鶴たんちょうつるのように見えたのだ。その後、篠田たちの仲間が丹頂小僧たんちょうこぞうと呼ぶようになった少年との初めての出会いだった。辺りは初夏の装いなのに少年の毛糸の帽子は奇異にうつった。横に少しはみ出したくせ毛の先には汗がにじみ、健康そうに日焼けした右頬には、笑うと小さなえくぼが浮かんでいた。少年は四十センチほどの魚と釣竿を手にしていた。魚は背から腹部にかけて白い斑点があって、紐を通した口には鋭い歯が並んでいる。少年は人懐っこい笑顔で問いかけてきた。
祖父じいちゃんが言ってたけれど川を埋めちゃうの」
「いや、くねくね曲がったところを真っ直ぐにするんだ」
「じゃあ、瀬ばっかりで溜りが無くなっちゃうじゃない」
「うん、そうだな」
「沈んでる木はどうなるの」
「今、重機で引き上げてるよ」
「どこまで?、全部やるの」
「全部は出来ないな、ここの真っ直ぐに切り替えるとこだけだろうな」
「うーん、コッタロの落ち口は大丈夫かな?」「ああ、あそこまでは行かないと思うよ」
「よかった、あそこにはミツクチが棲んでるから」
「なんだい、そのミツクチって」
「うん、大きな口の裂けたイトウさ、何回も刺さった釣り針を振り切って逃げた川の主だって、祖父じいちゃんがそう言ってたよ」
「イトウって、あの幻の魚って言われてるやつかい」
「うん、そうだよ」
 少年は少し安心したように遠くでうなりを上げている重機の方を見た。一面の葦原の中で高く伸びたアームだけが上下するのが見えた。既に測量が済んだ部分から新しい川筋の掘削作業は始まっている。
「君、君が持ってるその魚がイトウかい」
「いやちがうよ、イトウはなかなか釣れないよ、これはアメマスだ、、、それ、遠くまで見えるの」
 少年はトランシットが気になっていた。
「ああ、見えるよ、覗いてもいいよ」
「ほんと!」
 うれしそうに手にしていた竿と魚を足元に投げ出して伸び上がるようにレンズに近寄った。
「うわあっ!見える見える向こう岸の木の枝だ、、」
「君、よくこの辺で釣りをするの?、一人でかい?、名前は何ていうの」
 篠田の矢継ぎ早の質問に、少年はスコープを覗いたまま上の空で答えた。
「ああ一人だよ、おれ、たかし、隆だよ、何か小鳥が見えたのに、見えなくなっちゃった、また来るかなあ、、」
 たかし、と名乗った少年は視界から消えた小鳥が戻らないので、あきらめたようにようやくスコープから目を離した。
「俺、おじさんたちが舟で来たの見てたよ、もう一人の人何処へ行ったの??」
「もっと先のほうに印を付けに行っているよ、この先ずうっと測量するんでね」
「じゃあ、まだこの辺に来るんだ、船外機の音で釣れなくなるんだがなあ、、」
「そうか、釣れなくなるかい」
「うん、しばらく時間がたてばいいけど」
「そうか、悪かったね、おじさん釣りやったこと無いから知らなかったんだ」
「いや、おじさんだけでないよ、おじさん仕事だから仕方ないけど、船外機のボートで釣りに来る人だって、、、」
 少年は不満そうな面持ちだった。
「君、隆君って言ったね、隆君は何処から来たの、ここまで歩いてきたのかい」
「いや、家からは自転車で来てそれから歩いてきたのさ」
「その魚、アメマスって言ったね、白い斑点がきれいだね」
「うん、塩焼きも、燻製もおいしいよ」
「えっ、燻製って、出来るの」
「うん、祖父じいちゃんが作ってくれるんだ、祖父じいちゃんは『やまべ』だって『いわな』だってたくさん燻製を作るよ、お店に持っていくんだ」
「じいちゃんって、、燻製屋さん、それが商売なの?」
「いや、うーん、牛飼ってるし、畑も作るし、薬草なんかも採るけど、、、」
「あ、そうかい、農家なんだね、お父さんやお母さんが畑仕事やって、爺ちゃんは暇なときに魚釣って燻製を作ったりするんだ」
「いや、、、祖父じいちゃんと、、俺、、二人だけだよ」
隆の言いよどんでいる様子に篠田は話題を変えた。
「時々釣りの人を見かけるけど、よく釣れるの?」
「川が大きいから、魚の溜まる場所を知ってないと釣れないよ」
「ふーん、釣れる場所があるんだ!!」
「そうさ、僕祖父じいちゃんから聞いて知ってるんだ、祖父じいちゃんは昔から釣ってるからね」「そうだ、じゃあ今度おじさん休みのとき魚釣り教えてくれないか、面白そうだし、そんな大きなのが釣れたらいいな」
「うん、いいよ、じゃあまた望遠鏡も見せてね」
「ああ、あれはトランシットって言うんだ」
「じゃあ、明日も来るから」
「明日?、学校どうする、、、」
「学校?、今日が土曜で、明日は日曜だよ、それにもうすぐ夏休みだ」
「あ、そうか、今日は土曜だよな、おじさんたちは天気が良ければ土曜も日曜も無いが、明日は丁度午前中で仕事が終わるから午後からやろう。でも釣竿なんか持ってないなあ、どんなのがいいかな、釧路で買ってくるかな」「いいよ、祖父じいちゃんの使わないのがあるからもって来てやるよ」
「そうかい、それじゃあちょっと借りるか」
「うん、いいよ、じゃあ明日お昼に茅沼かやぬまの駅で待ってるよ」
「ああわかった茅沼かやぬまの駅だね」
 隆少年は足元のアメマスと竿を手にすると葦の茂みに付いた小道を見え隠れしながら遠ざかっていった。かぶっている帽子の赤い毛玉がまたゆれていた。
 翌日篠田は朝からデータ整理にかかった。昨日まで野帳に記録してあった測量値データと測定ポイント付近の写真を照合し会社に送る報告書にまとめた。
 篠田が現場事務所でデータ整理をやる日には頼んでおくと昼食を用意してくれる。常時泊り込んでいるのは二〜三人、通ってくるのが四〜五人、篠田達を入れて十人ぐらいの人数になる。この土建会社で永いこと賄いの世話をしているのが藤井きよさんだ。まるまるとした大柄な身体だが、機敏に動き回る。
 みんなに旨い飯を食わせたいから何度も味見する、だから痩せないね、、いい料理人は太ってるからね、が口癖だった。プレハブの現場事務所は、請け負った工事現場の近くに建てられる。早いところでは数ヶ月、長ければ一〜二年、そこを拠点で工事が進められることになる。みんな気の置けない仲間達ばかりで、篠田たちは新参の間借り人だった。いかに気心の知れた者たちの集まりといっても毎日の生活の中でたまには軋轢あつれきも生じることがある。そんな時頼りになるのがきよさんだった。
 いつも日曜の朝は、前日までの仕事の様子を簡単に打ち合わせると、自由に外出するのが通例だったが、今日は少しばかり作業の遅れた現場に、応援を出す人数の事でもめ始めていた。自分の班から出すのを渋っている班長に、「あんた、ぐずぐず言ってると昼になるよ、夕べ標茶しべちゃで映画見るって言ってたでしょ、『寅さん』今日までだよ早く行ってきな、帰りにこれ忘れないで買ってきてよ」、と、きよさんは来週の食材のメモを突きつけた。
「おっ、わかった、わかった、じゃあ俺んとこで二人出すよ」
 班長はそう言いながら右手でメモを受け取り、左手をきよさんの鼻先に突き出した。
「使い込みすんなよ、、」
 現金の入った封筒を渡すきよさんの眼は笑っている。そそくさと班長は表に出ていった。班長自慢の年代物のウィリスジープのエンジン音が聞こえた。
 篠田の助手をやっているアルバイトの加藤君は釧路教育大学の学生だ。昨日のうちに迎えにきた友人の車で出かけ、泊り込みの作業員の幾人かも自宅に戻り、なんとなくのんびりとした休日の朝の事務所風景であった。
「篠田さん、あんたこれから何するね?」
「ああ、今書いた報告書を出してくるからちょっとバイク借りるよ」
「そうかい、班長に頼めばよかったのに」
「いや、いいんだよ自分で行ってくるよ、それに昨日川で子供に出会って、釣りの約束してね」
「子供って、何処の子」
「うん、たかし、とか言ってたが五〜六年生くらいかな、人懐っこい子供でね、今日午後いっしょに釣りに行く約束をしたんですよ」
「ああ、由蔵さん処の隆だね、いつも川で遊んでいる」
「スコープ覗いてたら葦の陰で赤と黒の色が動いていてね、てっきり丹頂鶴たんちょうつるかと思ったら赤い毛玉のついた帽子をかぶったその子が出てきたのさ」
「ああ、あの子夏でもその毛糸の帽子放さないんだよ、何でも母親のものだったらしいよ。丹頂にみえたかね、そりゃあ丹頂小僧たんちょうこぞうだね」
「そうか、丹頂小僧たんちょうこぞうか!、そりゃあぴったりだ、私もこの辺の農家の子かと思って、ちょっと聞いたんだけれど、何か話したがらない様子だったのでね」
「そうかい、私、その由蔵さんとは遠縁にあたってね、隆のこともよく知ってるよ、そのうち話すだろうよ、そうだ郵便出してくる間におにぎり作っておくよ、川であの子と食べたらいいさ喜ぶよきっと」
「そうだね、お願いするかな、じゃあすぐ出してくるよ」
 五十石駅前ごじっこくの国道沿いには昔からの小さな雑貨屋が一軒残っている。観光客がやってくるわずかな時期だけ自動販売機のジュースやパンの売上があるだけだ。その自販機が置いてある横の板壁には何かのポスターを裏返した紙に、マジックインキで『湧き水あります』と矢印を書いた紙が貼ってあった。矢印は店の裏手の茂みの方を指していた。自転車やバイクで旅行する若者が一息入れて汗を拭き、喉を潤すには表の自販機のジュースよりよほど良いよ、と商売抜きの親切サービスである。 軒先に置かれた郵便ポストは国道を走るトラックが巻き上げる埃で白っぽくなっていた。 篠田は横に貼ってある消えかかった時刻表で一日一度の集配時間を確認して投函した。
 事務所に戻ると篠田は、きよさんの作ってくれた弁当の包みを、いつも持ち歩いているリュックに入れ、そのまま借りたバイクを走らせて茅沼駅かやぬまに向かった。最近、丹頂が来る駅として一部の観光客に知られてきた小さな駅で、五十石駅ごじっこくとは隣りあって一つ釧路よりになる。この間約四キロは線路のすぐ傍を川は大きな蛇行を繰り返しながら流れていた。この間が今度の事業でショートカットされる予定地であった。茅沼駅かやぬまの横手には線路を越えて細い道があり、道端の草むらに自転車があった。本格的なオフロードスタイルのものだが相当使い込んだ様に見える。子供の物としては上等すぎるが、荷台に釣竿が結んである所を見ると隆が乗ってきたのだろう。しかしそのへんに姿は見えなかった。
 線路に沿って牧草地がその先の雑木林まで続いていて、やや手前には沢から流れ出す清水を受ける牛の水のみ桶が置いてある。その横から赤い毛玉の帽子が見えた。隆だ、バイクの音を聞きつけたようでこちらを見ながら手を振っている。
「おーいたかしくーん、そこでなにしてるんだあー」
「うん、餌にするみみず採ってるんだよ、根っこの下に太いのがいるんだ」
「そうか、餌が要るんだね」
「どこにいるんだい?、手伝うよ」
「いや、もういいんだ、たくさん採ったからもういいよ」
「どれどれ、ちょっと見せてよ、うわあ太いなあ」
「うん、この『ふとみみず』は水の中で銀色に光って見えるから、大きな魚が釣れるんだって、やまべ釣るときは『しまみみず』がいいよ、針に掛けると黄色い汁が出るからよってくるんだって、祖父じいちゃんが教えてくれたんだ、さあ川に行こう」
「あそこに置いてある自転車、隆君のかい」
「うん、そうだよお父さんに貰ったんだ、若い頃これであちこちツーリングしてたんだって」
「そうかい、いい自転車だ、子供にはちょっと大きいかな」
「もう少し先に停めておくとこがあるからついて来てよ」
 そう言って隆は先になって細い小道を走り出した、後ろから見るとペダルを踏む足をいっぱいに伸ばしても下までは届かなくて、そのつどお尻が大きく左右にゆれる、やっとつま先がペダルを捕らえているようだ。少し上りになるとサドルから腰をずらせ少し前の位置で腰を浮かしながら力をいれて踏み込んでいる。
 篠田は自分が自転車に乗れるようになった頃の事を思い出した。当時の子供たちは家にある大人の自転車で練習したものだった。乗り方の練習にも順序があって、最初は自転車の横に立った時自転車側の片足をペダルに乗せ、反対の片足で地面を蹴って走らせバランスをとる練習をする。どうしても怖さが先にたち、自転車は身体の側に傾いたまま、片足をペダルに乗せながら自転車を押している状態だ。そのうち傾き方が垂直に近くなり、やがて車体を身体の反対側に傾斜させ体重でバランスが取れるようになると、やがて倒れそうになる側にハンドルを動かして修正することが自然に身についてくる。これが出来るようになると次は(三角乗り、よこのり)だ。ペダルの軸とサドルとハンドル軸を結ぶ三角形のフレームの間から片足を入れて反対側のペダルを踏むといった不自然な格好だが子供の柔軟な体は良く順応して結構さまになる走りが出来るのだった。次は(またぎ乗り)だ、普通に跨って乗るのだがサドルに腰をおろすと当然足はペダルを踏めない。そこでサドルに腰をおろさず前のフレームに跨るだけでペダルを踏むのだ。篠田は自分が練習していた頃を思い出し、後ろから微笑ましいその姿を目にしながらバイクを走らせた。
 放牧地の外側に添った小道がさらに狭くなったところに大きなハンノキが繁っていた。隆は振り向いてここでおしまいと叫んで自転車から降りた。
「ここ叔父さんとこの牧場の裏だよ、僕の家の牛も入れてもらってるの、僕の牛もいるんだよ」
「へえーっ、どうして隆君のところの牛がここにいるの、隆君の所も牧場だろ?」
「うん、でも自動車事故でお母さんが死んで、お父さんも怪我が直らなくて、牧場出来なくなったんだ」
「いやあそうだったの、悪いこと聞いちゃったねごめんごめん」
「いや、いいんだ、おじさんいい靴はいてるんだね、僕は長靴だ」
 隆はそういって篠田の足元を見た。篠田は会社の仲間と、その頃はやりの個人輸入でL・L・Beanのハンチングブーツを購入していた。測量機材を持って湿原内を歩き回るには、足元をしっかりしておかないと作業がはかどらない。はじめは会社支給の作業用の長靴だったが、蒸れるのと葦の葉や小枝の屑が入ったりして思わしくなかったのだ。ハンチングブーツは踝の上くらい迄がゴム製で脛の半ば程までがオイルのよくしみこんだレザーで出来ていた。主に湿地などでハンチングするハンターを対象とする製品でなかなかの優れものだった。
「ぼく先に歩くよ、ぬかるとこあるから気つけてね」
 紐で束ねたつり竿を抱えた隆は、水溜りをきように避けながら慣れた足取りで進んだ。そこは葦の茂みとヤチハンノキの小木が混じった湿地で、長年に渉って葦の葉や茎が堆積し、乾燥したところと水脈に浸った処が不規則に続いていた。
「あそこの水溜りは深いよ」
 立ち止まった隆が指差したそれは『ヤチマナコ』と呼ばれる湿地に出来た水溜りで、背丈以上の水深がある。
「こっちの太い木が倒れている下にある水溜りは『エゾサンショウウオ』が卵を産むところだよ」
「ふーん、詳しいね」
「うん、みんな祖父じいちゃんに聞いたことさ」
 葦の茂みがふかくなって、先を歩く隆の姿が見え隠れするうちに、急に視界が開けた。
「着いたよ」
 隆が振り返った。湿地を抜けた川岸は永年釣り人が踏み固めた足跡が川沿いにくねくねと続いていて、川幅が三十メートルはある。 対岸には湿原の奥深くから流れ込む支流が合流していて、そこは覆い被さるように繁った大木の陰が薄暗く水面を覆っていた。
「ここは木が入ってないから釣り針が引っかからなくていいんだよ、それにかけ上がりになってるから魚も通るしね」
「ふーん、かけ上がりってなんだい」
「うん、こっちの岸から川の真中までが谷のように少しずつ深くなってるってことさ」
 隆は初めて釣りをする篠田にも大丈夫なように釣り場を吟味してくれたのだ。話しながらも隆は竿の支度の手を休めなかった。
「さあ、リールはこう持って、このベールを反して、糸が出るようにして、少し先に投げるんだ」
 隆がやって見せた、小さな錘の反動でミミズを付けた針先は四、五メートル先で水中に沈んだ。
「糸が弛まないように少し巻いたらそのまま待ってるんだ、そこに二又になった枝があるから、竿を立てかけておけばいいさ」
 隆も自分の針にみみずを付けて少し離れた水中に投げ込んだ。
祖父じいちゃんなら向こう側の木の下が暗く抉れてるとこまで飛ばして隠れてる大物を狙うんだよ、でも枝木があって難しいんだ、ここ魚の通り道だから絶対釣れるよ」
「隆君、いま昼過ぎだけどおにぎり食べないか、事務所の賄いのおばさんが作ってくれたんだよ」
「ああ、あのおばさん親戚だって祖父じいちゃん言ってたな、でも僕よく知らないんだ。僕もパン持っているよ」 隆はポケットから菓子パンの包みを出した。
「そうかい、でもこのおにぎり一緒に食べよう、せっかくおばさんが隆君のぶんも作ってくれたから」
「じゃ、僕もおにぎり貰うよ」
 手にした菓子パンの袋をしまいながら隆もうれしそうにおにぎりに手を出した。
 二人は岸の草むらに座っておにぎりを頬張った。海苔で包んだおにぎりの中にはほぐした鮭の切り身がいっぱい詰まっていた。ラップに包んだタクアンを開くと辺りの乾燥した草の匂いの中にその匂いが広がっていった。篠田が後ろの木の枝に引掛けたリュックの中からお茶を出そうとしていると「竿から目を離しちゃ駄目だよ」と隆に注意された。
「あっ、そうだね、魚はいつ食うか分からないもんね」 篠田が慌ててポットを取り出す手を滑らすのを、隆はにやにやと眺めていた。 口いっぱいに大きく頬張ったので、話も出来ない二人はただ口をモグモグさせながら顔を見合わせ目で笑った。笑顔の隆の右頬には特徴のあるエクボが可愛かった。
 おにぎりが半分ほどになったときだ、隆は広げた新聞紙の上にそれを置くと立てかけてあった自分の竿に手を掛けた。
「釣れたの、、」
 篠田もおにぎりを放り出して立ち上がった。「いや、まだだ、舐めてるだけだよ」
 隆はそっと糸を張りながら竿先にじっと目を凝らしていた。
「おじさん、見てな、見てな、そら引いたぞ、それっ!」
隆は掛け声と同時に竿を立てリールを巻き始めた、竿先が大きく曲がり、糸は流れに逆らって上流に向かった。
「あまり大きくないな」と言いながら隆は巻き込みをやめると手前の岸に寄せてきた。ようやく篠田にも魚が見えた。上から見下ろすと、口元からみみずの端をたらした魚が右に左に大きく反転しながら寄せられてきた。
「うわっ大きいよ、隆君大きいよ」
大声をあげる篠田に
「三十センチくらいだよ」
 隆はこともなげに答え一気に抜き上げた。岸辺に繁っている葦の根元で背から腹部に白い斑点も鮮やかなアメマスが跳ね上がった。
「いやあ、きれいだね」
ちょっと写真撮ろうよ、隆君がそれを手に持ったところ写すから。
「いいよ、こんなの小さいよ」
 篠田はカメラを取り出そうとリュックをかきまわしていた。
「おじさん、竿、竿、、」
隆の大声に振り向くと立てかけてあった篠田の竿の先が、先ほどの隆の竿のようにゆれている。
「隆君これ、かかったのかい」
「うん、ゆっくり巻いてみて」
 篠田には初めてのリールの操作だ、ぎこちない手つきで巻き始めたが、糸の先の魚に気をとられて手元がお留守になる。慣れた釣り人なら巻き取るリールの位置がほぼ胸の高さになるように竿を立て、魚よりも周囲の木の枝などの障害物に注意を払いながら魚を捕り込む場所を決めるのだが、初めての篠田には無理な話だ。どうしても前かがみになって周りの状況には目が行かない、竿をねかしすぎて手元の葦の葉をリールに絡ませてしまった。「うああ、巻けなくなった、どうしよう」
 焦った篠田の目の前で大きくアメマスは反転すると水底に消えていった。
「うわっ、うわっ、逃げた、しまった」
 呆然と篠田は魚の消えていった辺りを恨めしげに眺めた。
「あはは、おじさん、逃げられたね、大丈夫又来るよ、ミミズを取り替えようよ」
 悔しがる篠田を慰めながら隆はミミズを入れた缶をさしだした。
「こんどは自分でつけてみてよ、ここに少し襞があって切れずらいから、ここから針先をだすといいんだよ」
 隆はミミズの長さの三分の一くらいのところにある帯状のひだを指差した。
 隆は釣ったアメマスの口からえらに紐を通し、岸から水面に覆い被さるように伸びている枝に結んだ。アメマスは岸よりの葉陰で上流にむかってゆっくり尾びれを揺らせている。二人は餌を付け替えて先ほどとおなじくらいのところに投げ入れ再びおにぎりを頬張った。
 川岸の葦の葉が風でゆれると、竿先から伸びた釣り糸も一緒に撓んでゆれ、風に乗って聞こえてくるオオヨシキリのけたたましい鳴き声と、水中からほんの少し顔を出している沈木の小枝が水を切る音だけが聞こえていた。長閑のどかな湿原の昼下がりだった。
「ここは何時も来るとこなの」
「うん、この辺で一番魚が寄ってるとこだし、それに釣りやすいから、祖父じいちゃんもここなら心配ないからひとりで行っても良いって」
「そうなんだ、危ない処もあるんだ」
「あるよ、岸がすぐに崩れそうな所とか、急に深くなってる所とかね」
「学校でもね、川に一人で行ったらだめって言うんだけど、、祖父じいちゃんは自分で気をつければ行ってもいいって」
「そう、学校はそう言うだろうね」
「でも今度、ここ切り替えたら水流れなくなるんだよね」
「そうか、ここは丁度切り替えの真ん中くらいの処だね、いっぺんに干上がるわけではないがだんだん無くなるね」
「どんなになるかな、岸の抉れの中も見えるね、魚が隠れてたとこ、どんなんだかわかるね、それにここは底に貝もいるんだけど、釣り針が浮いてないで底に沈んだら貝がかかっちゃう事もあるんだよ、魚は泳いで逃げるけど貝は死んじゃうのかな」
 隆の疑問や不安は尽きない、さっきは続けてかかったのに竿先に当たりの気配は見られなくなった。川上から川筋に沿って大きな鳥が飛んできた。篠田や隆が竿を出しているすぐ傍までは水面から二〜三メートルの高さで飛んでいたのが、木陰に人影を見つけると慌てて高度を上げて飛び去った。首が角度をつけて伸びている青サギ独特の飛翔ひしょうである。ときおり見かける丹頂鶴たんちょうつるの首から足先までをまっすぐに伸ばした優雅な姿勢とはすぐに遠方からでも見分けがつく。
「隆君、釣れないね、どうしたのかな」
「あわてない、あわてない、今にくるから」
「そうかなあ、でもさっきの惜しかったな」
「そうだね、僕のと同じくらいだったね、塩焼きするといちばん美味しいんだよ」
「塩焼きか、串に刺して焼くの」
「ああ、そうだよ、網で焼いても良いし、フライパンで、、、、あっ、きてる、きてる」
 隆は大声で篠田の竿を指差した、篠田は話をしているとまた竿から目が離れたようだ、隆は篠田と話をするときも目の端には竿が必ず入っていて、少しの動きにもすぐ反応する。「ゆっくり巻いて、、今度は葉っぱを巻き込まないようにね」
「お、お、おっ、引っ張るよ、」
「さっきより少し大きいね、もう少し巻いたら、後ろに下がって、もっと下がって、寄ってきたよ、もう少しだ、がっちり掛ってるから大丈夫だよ」
 隆は道糸の端に手を掛け、引き抜いた、鮮やかな白い斑点の魚体が足元で跳ね上がった。「やったあ、やったあ、釣れた、釣れたよ」
「ああ、よかった、おじさん釣ったね」
 隆はほっとしたような笑顔を見せた。先ほど釣ったアメマスと同じ紐に結んで泳がせた。 秋になってうんと釣れるようになると祖父じいちゃんと二人で五十匹は釣るよ、そのときはタマネギ入れる大きな網の袋が一杯になって川から上げるときとっても重たいんだ。
「そんなに釣れるの?、それどうするの」
祖父じいちゃんが燻製くんせいにして良いのはお店に持ってくの」
「ああ、この前もそんなこと言ってたね、お土産店にでも出すの」
「いや、釧路の居酒屋で『漁礁ぎょしょう』ってとこさ、祖父じいちゃんの知り合いの漢方屋さんに紹介されたって言ってたよ」
「えっ、居酒屋の『漁礁ぎょしょう』ならおじさんよく行くとこだよ、そうなんだ、あそこの『ヤマベの甘露煮』なんかも爺ちゃんが作ってたんだ」
「そうだよ、イワナやウグイの簾干すだれぼししなんかも、それにフキやウドにギョウジャニンニクもだよ」
「そうかい、あそこの山菜料理の材料は爺ちゃんが採るんだ」
「あ、誰か来たよ、釣りの人だ」
 長い竿の先が葦の葉の上にゆれている、胴長のウエダ―につり用ベストを着た二人連れはフライフィッシイングの支度だった。
 篠田と隆の置き竿を見ると、「釣れた?」と声をかけてきた。
「うん、二匹釣れたよ」
 隆が紐につないだアメマスを指差した。
「あっ、いいのが釣れたね、このへんいるんだ、でもここじゃフライ振るのはきついね」
 覆い被さるような木の枝と後ろに迫る葦の葉に諦めたように離れていった。
「ルアーなら釣れるけど、ここでフライはちょっと無理かな」
「ルアーもフライ釣りのことも本で見たことあるけど、エサがなくてほんとに釣れるの?」「ああ、大物が釣れるんだ、祖父じいちゃんはフライはやらないけどルアーならやるよ、朝や夕方イトウが餌とるときなんか凄いよ、ここの足元の岸まで大きい口をガーッと開けて祖父ちゃんのルアーを追ってきたのを見たよ」
「うーん、すごいなあ、いつかそんな魚見たいね」
「でも、今は夏だから無理だな、秋になったら祖父じいちゃんもここに来てルアーで狙うからその時見にきたらいいよ」
「残念だな、おじさんたちの仕事もうすぐ終わって引き上げるんだ」
「そう、、」
 じっと竿先を見つめながら隆は呟いた。今までも隆が釣りをしているときに出会う釣り人はいたが、相手が子供と見ると話し掛けることも無く黙って通り過ぎてゆくのが普通で、篠田のように真剣に隆の相手をしてくれる大人はいなかった。
 二人で握り飯を食べながら話をしたのも嬉しかった、煩がらず望遠鏡を覗かせてくれたのも嬉しかった。それなのにもう帰ってしまうの。そんな気持ちのこめられた呟きだった。 隆には、胸に会社のロゴが入った作業服姿で測量機材を自在に操って測定したり、写真を撮ったりする篠田の姿がとてもかっこよく見え、憧れの気持ちを抱いていたのだ。
 せっかく友達になれたのに、もう別れの日を知らされてしまった。
 いつも隆の遊び相手になってくれている魚や、昆虫や湿原の生き物達は、季節の移り代わりで変わっても、その時期になるとまた隆の前に現れてくれていた。
 しかし川筋が変えられるということは、その大事な友達もここからいなくなってしまうという事を隆は知っていた。
 その後隆が二匹、篠田が一匹釣り上げた。自転車のところに戻った二人は獲物をハンドルにぶら下げて意気揚揚と顔を見合わせた。
 隆は叔父さんの牧場によって牛乳を持って帰ると言って牧柵沿いに自転車を走らせて行った。
「また行こうね」
 手を振る隆の帽子の赤い毛玉がまた揺れながら遠ざかって行った。事務所に戻った篠田のバイクの音できよさんが窓から顔を出し、ハンドルにぶら下げたアメマスを見て驚きの声をあげた。
「いやあ、驚いた、篠田さん釣ったの、それ市場で釣ったんじゃないよね」
「釣ったんだよほんとに、隆君に教わって」
「塩焼きにすると美味しいよ、今夜の酒肴だね」
 その日の事務所の夕食はにぎやかに篠田の釣果がまさに話の肴と酒の肴になった。初めてにしては上出来だとかビギナーズラックってあるもんだなどなど。きよさんは由蔵と隆の事情を少し話してくれた。
 由蔵夫婦の牧場開拓が順調に進んでいた時の嘉代の病死、さらに一人娘のみどりに迎えた克夫という願っても無い養子夫婦に降りかかった交通事故のこと。
 その後の隆の環境を聞かされた篠田は、背負わされた大きな悲しみを見せずに明るく人懐っこい隆に逞しい開拓者の血筋のようなものを感じたのだった。
「そうだったのか、でもいい子に育ってるね、一緒に暮らす由蔵さん、離れていても心通わす父親の克夫さん、隆君はきっと逞しい三代目になってくれるだろうね」
「篠田さん、あんたが湿原で見つけてきた丹頂小僧たんちょうこぞうでしょ、帰るまでしばらくは釣りの師匠に付き合ってやりなよ」
 何時もは明日からの仕事の打ち合わせを話し合う仲間達も、今日はきよさんと篠田のやりとりに聞き入っていた。二匹の串焼きのアメマスは、うまい、うまいの声にあっという間に姿を消した。
「篠田さん、また釣ってきてくださいよ」
「こんどは師匠の丹頂小僧たんちょうこぞうの分も貰ってきなさいよ」
 この夜は、朝の早い事務所にしては珍しく遅くまで明かりが消えなかった。
その後、隆と篠田の師弟コンビの釣り姿は湿原で時折見かけられた。
 やがて隆の夏休みも終わり、湿原の短い夏が過ぎ去ろうとするころ、測量の終わった篠田たちが事務所を引き払う日が来た。
 その日の朝だった、戸外から呼ぶきよさんの声で篠田が外に出てみると、自転車を降りた隆が立っていた。数日前、今日で釣りもおしまいだな、二、三日後始末が済んだら札幌に引き上げると隆には別れを告げていたのだった。
「今日帰るの、、」
 篠田から目を逸らし、ルーフまで荷物を積みあげた会社のバンの方を見ながら隆はつぶやいた。
「ああ、荷物の整理できたからね、釣り楽しかったよ」
「、、、、、、」
「これから学校だね、またいつか会えるといいね」
「、、これ、、これやるよ」
 ぶっきらぼうに言いながら、隆はハンドルにぶら下げていた鈴をはずして差し出した。それはかって祖父の由蔵が開墾作業を共にした農耕馬の首枷に付いていた鈴(鈴鐸れいたく)の一つだった。自転車が揺れるとカランカランと澄んだ音色があたりに響いていた。
「それ、じいちゃんから貰ったんだろ」
「うん、でもおじさんにあげたいんだ」
 隆は自分が大切にしている物を篠田に持っててもらえばいつまでも繋がっていられるような気持ちがするのだった。
「そうかい、それは有難う、いい記念になるよ、じゃあおじさんも隆君に、、ちょっとまって」
 篠田は積荷の中のリュックサックを下ろし、そのポケットから小型の双眼鏡を取り出して隆に差し出した。それはオペラグラスのように折りたたみのできる簡単な物だったが、測量のときいつも首から提げていたので、あちこち擦り傷が残る篠田の愛用品だった。
「え、それを僕に、、ありがとう」
 受け取った隆は、篠田や、きよさんに背を向けて山裾の牧場の方にレンズを向けた。ピントを合わせるしぐさでしきりに目をぬぐう隆の後姿があった。


   自然保護と観光
 自然保護に関する確かな知識と信念があって反対する人とは違って、反対集会などに出ることも無く、誘われることにさへ背を向ける人もいる。それは自分の中に自然に湧き上がってくる思いをうまく伝えることが出来ない話べたのせいでもある。湿地の中を自然の高低差をなぞるように流れているのが川であって、単に水を流すだけのものは水路である。湿原には川だろう、水路は要らない。そういう声なき声は水路の中に流され昭和五十五年、新水路の河道拡幅もほぼ完成して暫定通水が始まり四年後には茅沼地区かやぬまの工事は完了した。 完成から二十三年、人工の水路も自然が持つ自然治癒力が働いてそれなりの環境を形作り、そこに住む動植物も新しい環境になじむものが生態系を築きつつあった。
 自然に対する人々の考え方にも大きな変化が現れてきた。人々には大自然の中に癒しを求める気風が生まれ、ここ道東にも訪れる観光客は増加していた。一方受け入れる側にもいろいろ工夫があった。
 観光シーズン中には湿原をゆっくり眺めてもらおうと企画された『のろっこ号』という特別仕様の列車が釧路駅から塘路駅とうろまでをゆっくりと往復する。写真を撮ったり展望台から景観を眺めるにはもってこいの企画で、人気は上々である。その昔、従来のダイヤで釧路駅を五時半に出発する釧網線の始発に乗ると、茅沼駅かやぬまには七時前に着く。川と線路が平行して走っているこの区間は、網走方面に向かう乗客に交じって、川釣りの客が乗っていた。細岡ほそおか茅沼かやぬま五十石ごじっこく、それぞれの穴場に近い駅で降りて釣り場にむかう。夕方、釧路に着く上りの列車が来るまで十分すぎる時間がある。降りた駅に戻るのもよし、一駅川沿いに釣りながら下るのもよし、自然がいっぱいの景観の中で過ごす一日は最高のもので常連の釣りファンが多かったのだ。この五十石ごじっこく茅沼間かやぬまの蛇行した川筋が評判の釣り場だったが直線化の工事でショートカットされてしまった。札幌方面からも多くの釣りフアンがやってきていた。事情があって一〜二年来られなかった釣り人が、その昔を期待してやって来て見たが、かっての自分の穴場が干上がった水溜りになっているのに驚きと失望感を抱いたのであった。しかし今でも夏休みには、虫網を持った小中学生や、双眼鏡を首からかけたバードウオッチングの人などが訪れ、その人気の衰えることは無い。

   再会の時
 三十年ぶりに再会した居酒屋のおやじとの語らいに、夜のふけるのも忘れて話し込んだ篠田が、相当酔ってホテルに戻ったのは午前様だったようだ。
 隆のその後のことなどを聞いて、あれこれ想像し、その面影を思い描きながらいつか眠についていた。
 翌朝、篠田はフロントからの電話で起された。時計は八時半をまわっていた。
「篠田さま、笠松 隆さまからお電話です」
フロントは隆からの電話を取り次いだ。篠田はまさに夢から覚める思いだった。大きく息を吸い込んで受話器を握りなおした。
「はい、篠田です、、隆君?、あの、隆君ですね」
「そうです、隆です、川で一緒に釣りをした隆です、驚きました、、いま、事務所に出たら机の上に、仲間からのメモがあがっていました。昨夜『漁礁ぎょしょう』で言付かったと、ホテルの電話番号が、、篠田さんという方が見えたので連絡するようにと書いてあって、もう、、びっくりしました」
「いやあ、突然で驚いたでしょう私がわかりましたか、三十年ぶりの浦島太郎ですから」
「わかります、わかりますとも、僕の知ってる篠田さんは、川で出会った篠田さんだけですから」
「それは良かった、知ってる人に誰も出会えなかったらどうしよう、そんな事思いながらやって来たんですよ」
「そうですか、篠田さんが訪ねてくれるなんて、思いがけないことです、ほんとにうれしいです」
「夕べ『漁礁ぎょしょう』のおやじさんに隆君の様子を聞いて、会いたくて連絡してもらったんですよ」
「はい、連絡してもらってよかったです、でも今朝知ったので、今日は弟子屈てしかがに行く約束がしてあって、明日は如何ですか、休みとりますから、こちらにはいつまでの予定で?」
「ええ、明日のJAL最終便をとってます」
「えっ、明日帰るんですか、それじゃ釣り出来ないじゃないですか」
「ええ、今回は釣りまでは、、隆君と話できれば十分です、それに出来たらきよさんとも、お元気でしょうか?」
「はあ、きよさんねえ、実は僕もしばらく会ってないんですよ、うちの由蔵祖父じいちゃんのお葬式のときから、、」
「そうですか、昨夜『漁礁ぎょしょう』のおやじさんから、由蔵さんが亡くなられたのはお聞きしました、いつも隆君の釣りの腕を自慢していたそうですよ」
「そうですか、祖父じいちゃんはあそこに山菜や干し魚を納めていたのでご主人とは親しかったようです。それできよさんは、遠縁といってもほんとに遠縁で、祖父じいちゃんが亡くなってからは、まったくごぶさたなんです、牧場の叔父に聞いてみます。」
「はい、お願いします、あのころ本当にお世話になりましたから」
「わかりました、それで、明日はどこで会いましょうか、今ぐらいの時間でよかったら私の車でホテルに迎えに行きます」
「そう願えればありがたいですね、今日は昔を思い出しながら一人で街を歩いて見ます」
「そうですか、今日からご一緒できると良かったのですが、約束がありまして、すみません、明日はお帰りの飛行機の時間までお付き合いさせていただきます。あっ、篠田さん携帯お持ちなら番号お願いします、私のは○○○○××××です」
 お互い携帯の番号を交換し、明日の約束を交わした篠田の顔は、昨夜の飲みすぎも素っ飛んでさわやかな気分に満ちていた。
 ホテルの食堂は何処でも同じようなバイキング形式だが、やはり魚の街のメニューらしい大ぶりな焼き魚も用意されていた。
 昨夜『漁礁ぎょしょう』で美味しい魚料理を満喫していたので、今朝は地元の海草の酢の物と、同じく昆布出汁こぶだしの良く効いた味噌汁で軽く済ませた。その味噌汁には昔泊まっていた旅館を思い出させる微かな磯の香があった。
 昨日タクシーの運転手から貰った観光パンフレットを手にしただけの軽装でホテルを出た。日差しはあっても気温は上がってはいない。港の方から川風にのって伝わってきた港街特有の匂いを感じたとき、三十年前の朝の風景が鮮やかに甦ってきた。
パンフレットにはノロッコ号で湿原めぐりという企画が載っていたのを思い出した。湿原の景観をゆっくり観光できるようにとJRの特別列車が釧路と塘路とうろの間を運行するものだ。
そうだこれがいい、時間もちょうど間に合う。篠田は駅に向かった。駅の佇まいはさほど変わってはいないようで、幣前橋ぬさまえばしからまっすぐ歩いてくると駅の正面に出た。途中の商店街にはシャッターの下りたままの店が見受けられ、あの頃よりも活気が無いように思えた。右手の高架橋を超えると比較的新しい町並みが遠く湿原の方向に広がっている。
 篠田は時刻表を探した。昔、改札口の真上には、一日の発着時間が書かれたボードがあったが、今は次の発着時刻が回転して現れるタイプになっていた。右手の自動発券機のところに路線図と駅名が表示されたボードがあった。時刻表には見覚えのある駅名が並んでいた。その一つ一を読むたびに懐かしさがこみ上げ、埋もれていた記憶の襞の中から様々な思いがこぼれ出てくるような気がした。釧路駅を出ると最初の駅が東釧路だ、定宿からも遠くない駅で、近くには湿原の中央部分を担当していた仲間の事務所があって、篠田も何度かこの駅に降りたことがあった。細岡駅、ここは車窓からの眺めが一番美しい駅で、夕日が湿原に沈でゆく眺めの記憶はけっして消えることが無いだろう。いつもは思い出すことも無かった古い記憶が駅名の文字から次々によみがえった。ノロッコ号の表示は見つからなかったが、壁には案内のポスター貼ってある。期間限定のせいだろうと思い、案内窓口に訊ねると時刻表が差し出された。
のろっこ号の時刻表だ。

釧路発10:56分 塘路発12:07分
 湿原発11:20分 細岡発12:22分
 細岡発11:25分 湿原発12:28分
 塘路着11:40分 釧路着12:54分

 突然携帯に着信があった、隆からだった。
「篠田さん、隆です、きよさんの消息わかりました」
「あ、わかりましたか、良かった、それで」「篠田さん今どちらに居られますか、老松町のX整形外科に入院されているそうで、なんでも数年前から腰を痛め幾度も入退院を繰り返しているそうです」
「そうですか、私いま駅に来てます、お見舞いに行っても差し支えないだろうか?」
「ええ、今度もリハビリで入ったので、話も出来るし少しなら歩くことも出来るそうです、駅からなら近いですよ、行かれますか、きっと喜ぶと思いますよ」
「私、今、のろっこ号に乗って見ようかと思って時刻表を見てたとこですが、きよさんの病院探してお見舞いに行って見ます。それと、いつもきよさん、きよさん、と呼んでましたが、名字はたしか藤井さんでしたね」
「そうです、藤井きよさんです、今日のろっこ号に乗らなくても私が明日車でご案内しますから、今日はきよさんに会われた方がいいですよ、私もこれから約束の弟子屈てしかがに行くのですが、明日が楽しみで、今日は仕事になるかどうか、、それじゃあ失礼します」
 どうやら隆もいろいろ思い出して仕事もうわの空のようだ。
 駅前には客待ちのタクシーが長い列をなしていた。病院の名を告げるとすぐにわかり、お見舞いに行くので何か果物でも買いたいと言うと駅に近いスーパーに車をつけてくれた。見舞い品など選んだことが無い篠田は迷った。果物とか缶詰などしか思い浮かばない。ふと事務所での夕食後に、きよさんが出してくれた白桃の缶詰のことを思い出した。そうだあまり仰々しくないし、思い出話にもなる。簡単に包装してもらってタクシーに戻った。  タクシーはロータリーを一回りして駅裏に向かった。広い通りから少し入った処の病院は、建物は大きいが古い二階建てで、玄関前の駐車場の白ペンキで区切られたスペースには空きが目立っていた。入り口は回転式ではなく両開きで、片側に(押す)、もう一方に(引く)とラベルが貼ってある。
 相当広い玄関の下駄箱の前には、板敷きのスノコが敷いてあり、脱ぎ捨てたスリッパが何足か残っていた。
 受付の窓口に人影が見えないが、横の壁には丸い押しボタンがあったので押してみた。
「はーい」明るい声が奥のほうから聞こえ、若い少女の顔が覗いた。
「あの、こちらに藤井きよさんと言う方が入院されてるそうですが、お会いできますか」「ご面会ですか、そこから二階に上がってすぐの二号室です、いま歩行のリハビリしている時間なので廊下に出ていると思いますよ」
 若い看護師が小窓から手を出し指さす方に広い上り口が見えた。近代的な病院にはない、昔ふうの病院のサービスだった。
 階段ではなく、明るい色の床材タイルを張ったゆるいスロープが、途中の踊り場で折り返しになって二階につながっていた。
 松葉杖でも車椅子でもゆっくりと安全に上り下りできる構造になっていた。
 中間の踊り場からは、玄関ホールでテレビを見ながら談笑している患者さんたちを見下ろせる、下からは、見舞い客が誰の部屋に行くのか、興味ありげに見上げていた。
 二階廊下の上がり口には共用の冷蔵ストッカーが置いてあった。どこのスーパーにも置いてあるガラスの蓋を持ち上げて開くようになっているものだ。
 藤井とマジックで書いた包み紙が目に入った。篠田はその前で立ち止まった。そこからまっすぐに伸びる奥まった廊下の端の方に人影があった。窓からの光を受けたシルエットは、胸の高さに肘を置いて身体を支える、歩行補助機を押しながらこちらに向かってゆっくりと歩いてきた。廊下には補助機の車輪が床に転がる軽い音と、スリッパが不規則に引きづられ、床をこする音だけが聞こえる静かさだった。篠田はじっと目を凝らした。看護師に告げられていたのできよさんだということは判っていても、昔のイメージには重ならなかった。 ゆっくりと近づいてくる人影の明暗が次第にはっきりしてきた。補助機を押して歩く人の目線は、どうしても近くの足元に注がれているので、数メートルに近づいてきてようやく篠田の姿に気がついた。仲間の入院患者でないことはすぐわかる、誰かの見舞い客か身内の人だろう、そんな感じの会釈をしながら、ゆっくりと歩行補助機をもと来た方向に向け歩き出した、数歩あるいたとき、その動きが不意に止まった。背中が何かを考えている、たまらず篠田は声をかけながら前に回った。
「お久しぶりです、きよさん、昔、五十石ごじっこくの事務所でお世話になった篠田です」
 はっとした様子でまじまじと篠田の顔を見つめた。
「えっ、し、の、だ、さん、あの、測量会社の?」
「そうです、その篠田です」
「あ、あ、、、、、」
 声にならないくぐもった声のきよさんの顔がくしゃくしゃに崩れた。小太りで大柄だったきよさんとは思えない姿だが、間違いなく食事の支度や部屋の掃除にと、きびきびと動いていたきよさんだった。
「ああ驚いた、どうして此処が、まあ部屋に入ってください」
 歩行補助機を押しながらきよさんは、二号室と札のかかった部屋のドア―に向かった。その部屋は広く、ゆったりと六人分のベットが並び、一番奥の窓際の一つがきよさんのベットだった。同室者は入り口すぐ左に一人いるようだが姿は見えない、つまり六人部屋に二人の入室者だった。
「さあ、此処にかけて、ここ私の専用みたいなものだから」
 きよさんは隣の空きベットに篠田を座らせた。篠田はかいつまんで隆のことや此処に来たいきさつを説明した。黙って聞いているきよさんの目が潤んでいた。
「そうだったの、それにしても、篠田さんと会えるなんて、あのあと工事の人も何人かお世話したが、皆忘れたねえ、篠田さんは隆のことがあったから良く覚えているよ、いま廊下で会った時、はっとして、こう、何か、急に事務所の中のような気がしたの、変だよね、こんなに歳を取っちゃっているのに」
「私は受付できよさんだと聞いていたからすぐ判ったんですが、よく気がつきましたね」
「でも声をかけられるまでは、見覚えのあるお顔なのに、すぐには出てきませんでした」
「これ、むかし食事の後によくご馳走になった桃缶です、美味しかったですね」
 篠田は手土産の包みを差し出した。
「ありがとう、よく覚えていてくれたわね、篠田さんからお見舞いいただくなんて、夢みたいだ」
 包装紙の上からなでるように抱えていたきよさんの顔がだんだん明るくなって、しまいには小さな笑い声がもれた。
「え、どうかしたの、なにか?」
「あはは、あれ、私がパチンコで取ってきていたものさ、食料買出しに行ったときはいつもね、私の趣味さ、篠田さんも悪いもの持ってきたね、これ見たら補助機押してでもまたパチンコ通いするかも、、」
「いやあ、そうだったの、パチンコとは知らなかったな」
「そう、標茶しべちゃに行っても、釧路に行っても、買いものしたら軽トラの配達頼んで、あとはゆっくりパチンコして帰っていたのさ、あのころ景品棚には桃缶やみかんの缶詰なんかが並んでいてね、いまなら賞味期限が煩いけどね」
「そうか、じゃあ西日のあたる景品棚にずっとあったやつなんだ、、でもおいしかったなあ!」
「うふふ、私もその後に食べたよ」
「えっ、俺たちに毒見させてたの!!」
「いやいや、ちゃんとした食事の後のデザートです」
 顔を見合わせ、むかしを思い浮かべる二人の間には、三十年の歳月を超えた友情があった。
「ところで広い六人部屋に二人とは贅沢だね、他もそうなの?」
「まあだいたいね、殆どが年寄りのリハビリだから、長い人ばかりが通ったり入院したり繰り返しているんだよ」
「そう、そんなことで経営できるのかね」
「いや、大先生おおの趣味みたいなもんかな、八十幾つだから、長いこと此処で開業していたが若先生が東京の大学病院の教授になってしまって、戻れなくなったんだそうだよ。またそれが大先生おおの自慢でさ、その教授先生がお盆にお墓参りに戻られるんだが、普通の病院では盆休みするのに、大先生おおは休まないで若先生を従えて回診してね、今日は大学教授の回診だと年寄り患者に自慢するのが楽しみなんだよ、また大学教授もにやにやしながらついて来るんだよ、中には手合わせて拝む婆ちゃんもいてね、若い看護婦さんが慌てて止めたんだって」
「ほーぅ、いい話だなあ、いまどきそんな病院聞いたことないな」
「ところで、明日隆と会うんだって?」
「ええ、休暇とって付き合ってくれるそうなので」
「由蔵さんの葬式いらい会ってないな、結局牧場は叔父に任せる事になって、私がいた会社に入ったのさ」
「そうなんだってね、夕べ『漁礁ぎょしょう』のおやじさんに聞きました」
「由蔵さんも急で、用事あって従兄弟の牧場に来ているときに、急に頭痛いと言い出して、救急車で病院に行ったが、『くも膜下出血』で意識戻らないまま亡くなってしまった」
「そう、、隆君は?」
「克夫さんが良く出来た人で、亡くなったみどりさんの分まで、離れていても良く面倒見ていてね、由蔵さんも喜んでいたよ、隆も克夫さんもいずれ牧場をしっかり経営しなければという気持ちは持っていたようだが、由蔵さんは牧場に拘ってはいなかったようだよ」
「でも、みどりさんの夢だったんでしょう」
「そうなんだがね、克夫さんも、牧場の作業が無理な身体になって、研究所勤めに落ち着いたからね、あとは隆の考え方で決まることになったのさ」
「隆君だって大好きだった母親の夢に応えるつもりでいたんでしょう」
「そう、そうなんだけれども、克夫さんは、隆のことよく見ていたね、器用に自転車も直して乗ってたし、牛舎のフォークリフトも自分で修理が出来るし、機械のことが何でも好きだったようで、それなら工業高校にいって機械技術者になったほうがいいだろうってね、克夫さんがすすめたのさ」
「ふーん、そう言うことがあったんだ」
「隆もみどりさんのように牛が大好きってわけでもないし、もちろん嫌いって事じゃないんだが、どっちかって言えば、あいつ、魚と虫と機械いじりが好きだったからね」
「そうそう、私が初めて隆君に川で出あった話をしたとき、きよさんはすぐ川で遊んでる子なら、隆だって言ったもね」
「そうだったかね、、それに由蔵さんも克夫さんの考えに賛成でね、夫々の夢に賭けるのがいい事だ。俺も嘉代と牧場作る夢は果たしたから満足だ。みどりも克夫さんと夢を語り合っていたから満足だったろうってね、隆も自分で決めるのが良いんだって言ってたそうだよ」
 後になって判った話だが、由蔵は交通事故がおきてから友人のユースホステルの主人に、婿養子に来てもらった克夫のことを相談していたそうだ。みどりと二人で牧場をやっていく夢は果たせなかったが、俺は二人に何もかも任せたのだから後は克夫君の思うようにやってほしい。だが、牧場から出る牛のし尿が川を汚すことに由蔵自身が釣りをやっていて気づいていた。対策の無いままの経営は何とかしなければならないが、幸い克夫の専門分野のことだから、やるならその研究牧場のような形でやってほしい、おりがあったら克夫に良く伝えるように頼んでいたそうだ。結局それが遺言みたいになってしまった。
「いろいろ、判りました。あの隆君のその後と、川のことが気になってたんです。隆君のことはよくわかりました、明日は隆君に川のことや湿原の事を聞いてみることにします、きよさんもお達者でね」
「いやあ、ごらんの通りお達者なのは口先だけで、死ぬ前に元気だったあの頃の話が出来ただけで満足です、篠田さん、本当にありがとう、夢のようだね、、」
 篠田の座ったところから、きよさんのベッド横のサイドテーブルがよく見えた、その上に置かれたプラスチックの小さな洗面器にタオルが無造作にいれてあって、そのかげから輪ゴムでとめた花札が覗いていた。気丈に振舞ってはいても、たった一人の長い夜の時間、ベッドの上で一人占いの札をはじいているきよさんの姿を思うと、篠田の胸に熱いものがこみ上げて来た。
 あの頃事務所では毎晩のように、就寝前のひと時を仲間達と座布団を前にして花札に興じていた。それ!、赤タンいただき!、ぴしっと札を鳴らして得意そうに笑っていた、きよさんの元気な姿が目に浮かんだ。
「川の流れを元に戻す話には私も驚きました、それで来てみたんですが、元に戻った頃また見に来るつもりです。それまでには、きよさんも、腰のほうを治して置いてください、こちらは曲がらず真っ直ぐに戻しておいてくださいよ」
「いやあ、この歳になったら、とても、とても、大先生おおがお元気なうちはここでお世話になっています」
 廊下の方から昼食時間のアナウンスが聞こえてきた。食器をのせたキャリアを引く音と部屋から受け取りに出るスリッパの音で、静かだった廊下が急に騒がしくなった。
 立ち上がった篠田を玄関まで見送るといってきよさんも歩行補助機に手をのばした。
「いいですよ、ここで、此処でお別れしましょう」
「いやリハビリの途中だった、下まで行くよ」 別れがたい気持ちのきよさんは譲らない、歩行補助機の横に手を添えて篠田も一緒に歩き出した。
 ゆっくりと、ゆっくりと、廊下からゆるいスロープの通路を下った。無言の時間が流れ、篠田の目はきよさんの、白いものの混じった髪を、無造作に輪ゴムで束ねたあたりから現実の時の流れを感じていた。
「じゃ、これで失礼します、お元気でね」
「篠田さんも、、、隆によろしくね」
 玄関のガラス越しに、じっとこちらを見送っているきよさんの視線を熱く背中に感じながら篠田は病院を後にした。
 今回の旅行の目的の一つに釧路駅の駅舎に常設されている画廊で、湿原の画家と言われる佐々木栄松氏の絵を見ることである。篠田が東京に勤務するようになってしばらくした頃、ふと立ち寄った古書店で一冊の画集が目についた。『湿原の画家』という文字に惹かれて何気なく手にとって見ると、釧路湿原をフイールドした地元の画家、佐々木栄松氏の作品集である。
 作品の製作年代の中には篠田が測量機材を担いで川岸の葦原をかき分けていた頃のものも多くあり、広漠とした四季折々の湿原風景が見事に描かれていた。表紙カバーに載っている著者紹介欄の写真に見覚えがあった、そうかこの人だったのか、幾度かスケッチブックを手にした人物をスコープの中に捉えていたことを思い出した。写真版で縮小されていても、すばらしい自然の息吹を感じることが出来た。いつか本物の絵を見たい、そう思って買い求めた画集は篠田の本箱に並んでいる。そのご後輩から釧路の駅舎に画廊が設置され佐々木画伯の絵が展示されていることを聞いていた。駅正面を入ると左手にみどりの窓口、右手に向かうとみやげ物や食堂などのアーケードに続き、一番奥まったところに二階に上る階段があり、そこに画廊の案内板があった。受付にはサイン帳がおいてあったので記帳した。どの作品にも赤が大胆につかわれ、作品に深みを添えているように思えた。作品のテーマには、落日、夕陽、早春、晩秋、初冬はいくつかあるが夏の作品は1980年の『夏の湿原』しか見当たらなかった。篠田が測量に入っていた夏は、湿原の魅力に欠ける季節だったのかもしれない。その絵の描かれた時期は、川が新しく出来た直線の水路に切り替えられた時と一致する。その一枚の夏の湿原の絵は篠田の思い浮かべる湿原の風景そのものであり、かって篠田がその目で眺めたことのある場所でもあった。製版されたその一枚を購入した、その絵はいつまでも篠田に、落日に映える釧路湿原と隆や、きよさんを思い出させてくれるだろう。
 駅前にあるホテルの横を行くと新しくなった”和商市場”の前に出る、昔この辺りにはリヤカーに魚箱を積んだ路上売りのおばちゃん達が屯していたのだが見当たらなかった。市場に入ってすぐに気がついたのは、昔の店内より通路が増え広くなっていたことだ。大勢の買い物客でもぶつかり合ったりはしないで済む。縦横の通路の両側には多くの店が並び、夫々が陳列や品揃えに工夫を凝らして、客を迎えていた。築地の市場などでは客の入り口に近い場所は有利な商売ができるとあって、何年か毎に場所替えがあると聞いている。やはりここでも同じような問題がありそうだと、付けてある値札の店ごとの微妙な違いから感じられた。篠田もお土産に特産の品を数点選び、自宅宛に発送を依頼して店を出た。まだ時間は充分ある、観光パンフレットを開くと啄木の歌碑巡りのコースが目に付いた。昔、近くの幸町公園にあると聞いたことがあったが、載ってはいない。ぶらぶら公園に向かいながら歌碑マップを眺めた。街中の整備と観光に配慮して移転が行われたようだ。新しい配置図は観光客の流れの誘導に役立つようにできている。すぐに目に付いたのは『しゃも寅の跡』という古い町並みの残る米町辺りにある歌碑の歌だった。
『火をしたう蟲のごとくに
  ともしびの明るき家に
     かよい慣れにき』
 かって時間があれば居酒屋に直行していた自分を思い心中苦笑する篠田だった。
 行って見ようかと思っても米町までは少し遠すぎる、歳相応のためらいがあった。次に目に付いたのは、篠田が始めて現地入りをした春先、湿原を眺めた思いに何か通じる歌があった。
『さいはての駅に下り立ち
 雪あかり
 さびしき町にあゆみ入りにき』
 かっての古い町並みの釧路を、多少は知っている篠田だったが、当時は仕事に左右される毎日で、歴史のある釧路の街並みを眺める余裕はなかった。今日は、定年退職者の目線で、ゆっくりと由緒ある釧路の街並みと、啄木の世界に想いを馳せながら、釧路川沿いの新しい景観を巡った。
 最近はこんなに歩き回ったことが無かったのですっかり歩き疲れてホテルに戻った。

 釧路での最後の日の朝を迎えた。道東の夜明けは早い、ホテルの窓の厚手のカーテンの隙間から射し込む朝の日差しで目が覚めた。時計は六時半を指していた。今日は隆が空港までも付き合ってくれると言う、最終便までには十分時間がある、心弾む時間の記憶は小学校の遠足の朝と同じだ。テレビの天気予報の晴れを聞いて、安心して食堂に向かい、磯の香りのする昨日と同じ味噌汁をじっくりと味わった。ロビーのソフアにはビジネスマンらしきスーツ姿が、コーヒーを前に新聞を広げている。その姿に数ヶ月前の自分の姿をダブらせる篠田だった。ロビーの片隅には自販機が並んでいて、その辺りから良い香りが漂ってきた。最近のコーヒー自販機にはドリップ式が多く、紙コップの味気なさを我慢すれば結構いける味が楽しめるのだ。チェックアウトを済ませた篠田は、湯気と香りが立ちのぼるカップを手に窓際のソフアに座った。見回すと久々に味わう活気のあるビジネスホテルの朝が広がっていた。のんびりとした気持ちと久しぶりに隆に会える高ぶった気持ちの交錯する時間が、コーヒーの香りの中に過ぎていった。そのとき玄関前に一台のRV車が停まり、グレーの作業服姿が降り立った。ぐるっと辺りを見回しながら玄関ロビーに入ってきた。フロントに向かおうとした足が止まり、篠田の座っているソフアの前のリュックに目がいった、目線が篠田を捉えるとニコッと頬が緩んで大またに近づいてきた。
「篠田さん、、、ですね、隆です、お久しぶりです」
浅黒く日焼けした逞しい壮年の顔が微笑んでいた。少しくせ毛の髪が短くまとめられ、笑うと出来る右頬のエクボが少年の面影をわずか残していた。
「た、か、し、君、、、」篠田は声にならなかった。
「そうです、隆ですよ、すっかり歳を取りましたが」
「いやあ、頭では三十年足し算していたんですが、私には小学生の隆君が、、、」
「篠田さんは、そんなにお変わりないです、お若いです、でも、もっと変わらないお連れが其処に、、」
 隆は懐かしそうに篠田の足元のリュックを指さした。それはアメマス釣りに行ったとき、きよさんが作ってくれたおにぎりを入れていたリュックだった。
「どこからご案内しましょう、昨日、のろっこ号に乗るような話でしたね、まっすぐ五十石ごじっこくの事務所のあったとこに行って、其処からあちこち川筋見ながら下って、遠矢とおやから新しく出来た釧路湿原道路で空港に行くようなコースを考えてきたのですが」
「そう、隆君にお任せだよ、お願いします。事務所の在ったあたりも変わっただろうね」
「そりゃあ、すっかり変わってしまって、整地されて家が建ってますよ、じゃあ行きましょうか」
 隆が篠田のリュックを手にした時、からんからんと軽やかな鈴の音が響いた。
「あっ、これ僕がお別れの時に、、」
「そうだよ、隆君に貰った馬の鈴さ、いつもは部屋の壁に掛けていたんだが持ってきたんだよ」
 懐かしそうにその鈴を指ではじいてみた隆は、膨らんだ自分の作業服の胸ポケットを軽くたたいた。
「僕も持ってきました」
「え、あの双眼鏡を!!」
「ええ、蓋がうまく閉まらなくなったけど」
隆が取り出したオペラグラスふうの双眼鏡には、昔篠田が首からぶら下げていたときの紐が、色こそあせてしまったがそのままぐるぐると巻きつけられていた。
 顔を見合わせた二人は三十年前の別れの朝、夫々が交換した思い出いっぱいの品をしみじみと見つめなおした。
 車は国道44号線を進み雪裡橋せつりばしを渡って391号線に入る、遠矢とおやからJR線は391号線と離れ、くしろしつげん駅に向かい、細岡を過ぎると川は線路沿いに塘路迄続とおろく。JR線と391号線はここからシラルトロ沼を挟むように左右に分かれて茅沼かやぬまに向かう。道路わきにはカラフルな屋根の住宅があちこちに増えていた。
 助手席に座った篠田には運転する隆の横顔が逞しくうつった。
「隆君はきよさんのいた建設会社に勤めてるそうですね、牧場の家はどうしました」
「ええ、牧場を叔父に任せたあとしばらくそのままでしたが、今は資材置き場になっていますよ」
「そう、私は隆君が牧場をやるんだと思ってました」
「僕も由蔵祖父じいちゃんと一緒の頃はそう思ってましたが、いろいろありましてね」
「叔父さんの牧場って云えば、釣りの帰りに隆君の牛だと教えてもらった事があったですね」
「あ、そんなこともありましたね、みんな昔の話になりました」
「昨日、きよさんに聞きましたが由蔵さん、急だったそうですね」
「ええ、叔父の牧場に行っていて、突然、その頃、僕ちょうど会社の現場に泊り込んでいて祖父じいちゃん一人だったんです」
プオーン、一台のトラックが隆の運転するRV車とすれ違いざまクラクションを響かせた。「会社の車です、この先で工事しているので、むかし祖父じいちゃんと鯉釣りをした沼地の入り口なんですが、潰れかかった古い木造橋に土管を入れて補強してるんですよ、雪解け水が道路に溢れてくるので、、めったに人も入らないんですがね」
 隆は笑いながら篠田に告げ、やや躊躇ためらいながら話し始めた。
 そこの沼は祖父じいちゃんのお気に入りで、釣りをしないときにも時々来てたようなんです、ネムロコウホネの葉が水面を覆っていて僅かに空いた水面に湧き水の泡がポコッと浮かんでくるんです、薬草探しの帰りに寄ってたんでしょうね。
 あれは祖父じいちゃんの四十九日にお寺に納骨に行ったときのことなんです。住職が、実は由蔵に頼まれていた事があるんだがときり出しました。
「何頼まれてたんですか?」
と私が聞くと住職は。
「うん、あれは去年のお盆だったか、お彼岸だったか、檀家まわりで寄った時じゃった、ちょうど夕陽が沈む頃で牧場がきれいな夕焼けに包まれてたな、由蔵は牧草地の端の丸太に腰を下ろしてわしが行くのを待ってたんじゃ。キタコブシの大木の長い影が牧草地の上で揺れているあたりを目を細めて由蔵は見渡していたんだ。きっと入植した頃、嘉代さんと二人で枝払いした大木の切り株や近くを走り回っていた幼いみどりちゃんの姿が由蔵の脳裏に浮かんで居たんだと思う。
 わしが近づくとおい源、(わしのことじゃ、ガキの時分から源、由、って呼び合ってたんだ)あそこにキタコブシのでかい木があるだろ、俺が死んだら骨ばあそこの脇にある馬頭観世音ばとうかんぜおんの先の高いとこと、よく鯉釣りに行ってた湧き水のある沼に撒いてくれるよう隆に言ってくれって言い出したんだ。
 バカ言うな同い歳だ、俺が先に逝くかもしれんのに、そんな頼まれごと聞けんって言ったら、あいつ何て言ったと思う。いやお前は昔から何でも俺より遅い、学校の掃除でも、弁当食うのも、走っても、木登りでも、何やっても俺より遅かった。だから死ぬのも遅いってな。それがやっぱり当たっちゃった。  俺んちは代々寺の坊主だし、由蔵んとこは檀家だ、嘉代さんも、みどりさんのお骨も寺で預かって供養している。由蔵はいずれ自分もその仲間入りすることを考え、いっしょにひらいた牧場の土に帰りたかったんだと思う。だから由の言い分も聞いてやりたいんだ。あいつは、山菜採ったり、薬草採ったり、川で釣ったりで一生過ごしたんだから、俺んとこの納骨堂でちーんとしてるの嫌かも知れん。家の事情で分骨する人もいるんだから由の骨も少し湿原に帰してやったらどうかなって思うんだ」
 住職はそう言いながら骨壷を受け取ったんです。
「うーん、それで隆君はどうしたの」
「はい、住職さんが納骨堂で、嘉代祖母ばあちゃんとかあちゃんと祖父じいちゃんのお骨を少しづつ奉書紙に包んで、細かく粉のようにして散骨しなさいって渡してくれたので、、、父さんもそうしようって賛成してくれました」
「そう、由蔵さんたち牧場と湿原で眠ってるんだ」
「はい、祖父じいちゃんがいつも使ってた薬草を潰す薬研やげんを使って粉にして、牧場の西側の丘と、鯉釣りをした沼地の湧き水のとこに撒きました」
「そうか、自然に帰ったんだ、、」
 ホテルを出てかれこれ一時間、新しい街並みや、昔のままの山や丘が続く風景の中を隆の話を聞きながらゆっくりと走った。篠田のようにごく僅かな期間この湿原に関わった者でも、自然の姿が大きく変わることに関心を持ったのだ。まして此の地に育ち、此処に骨を埋める人々が湿原に寄せる想いの格別であることを、改めて知ったのだった。
「もうすぐ五十石ごじっこくの駅前です此処から昔は砂利道だったんです」
 そう言いながら隆は国道に交差する道路を左折した。
 篠田にも両側に草が繁っていたかっての砂利道の様子がよみがえった。右手にカラマツ林が連なって見え、その林の手前に同じような作りの住宅が三軒ほど並んで見えた。
「ここです、その住宅の並びに在ったんです」 隆の指さす処には、草丈一メートルほどのヨモギと二メートルを越すイタドリが群生した空き地が広がり、その中ほどにはプレハブの事務所が建っていたと思われる草丈の低い部分と入り口までの砂利道の痕跡が在った。
「此処ですか、事務所の裏手にあったカラマツがあんなに大きくなって!!」
「そう、カラマツは成長が早いですからね、今住宅が建ってるところは、あのころブルやトラックの置場になっていた広い空き地で、通ってくる人達の車も並んでいました」
 車から降りて篠田は草むらに踏み込んでみた。夏草の匂いが一面に立ち込め、足元から緑色の殿様バッタが飛び出した。大きく息を吸い込み目を閉じると、事務所に出入りする人達の忙しそうな靴音や、開け放たれた窓の向こうからきよさんの明るい声が聞こえたように思えた。その声は昨日病院で聞いたきよさんの声と重なった。篠田は草むらの中に根太石ねだいしを見つけそっと腰をおろしてみた。プレハブの事務所を解体するとき置き忘れたものだろうか、草むらの奥からキリギリスの鳴き声が風に乗って聞こえていた。ふと見ると草むらの中に一際鮮やかな色彩の部分があった。周りの雑草の背丈をこえて薄紫の花が覗いている。昇り藤といわれるルピナスとヒオウギアヤメだった。建物の西側にきよさんが丹精していた一坪ほどの花畑があったことを篠田は思い出した。時折食卓の一輪挿しに活けられた花が、殺風景な男所帯に僅かな彩と安らぎを添えてくれていたのだった。放置されたまま三十年ちかい年月を、辺りの雑草と競い合って、自分の力だけで生きてきた花々の、生命力の強さが見えた。それは自然の環境に人工の手が入ると元の自然に戻るには再び人の手助けが必要なことを教えているように思えた。炊事支度で出る生ごみをせっせと畝の周りに埋けていたきよさんの姿を思い出した。そうだ、きよさんの病室に届けてあげよう、隆くんに頼もう、篠田は数本のルピナスとヒオウギアヤメを手折りリュックに収めた。
「あれ、篠田さんその花は、、」
「ああ、昔、ちょうど事務所の窓から見える此の辺りに、きよさんが花を植えていてね、丈の低い花はすっかり雑草に埋もれてしまったが、これだけ育っていたんだよ、ここの事務所が取り壊されて何年になるのかなあ、、隆君今日帰りにこの花、きよさんに届けてほしいんだが」
「そうでしたか、いいですよ、こんな機会でもなければなかなかお見舞いにも行けないので、何処かで一輪挿しでも買って病室に飾ってきます、きっと今頃篠田さんや事務所の事など思い出していますよ、此処で写真とりましょう、いっしょに届けます」
 隆が携帯のカメラを向けた。
「そう、そう、これ息子です」
「えっ、隆君の息子さん?」
 隆が渡した携帯の待受け画面には野球のバットを構えた少年が写っていた。かって篠田が覗いていたトランシットのスコープの中に釣竿を手にして突然現れた三十年前の隆にそっくりの顔立ちだった。丹頂小僧が野球小僧になっていた。篠田はようやく隆に会えた実感がわいてきた。草むらに立ち尽くす篠田の姿を隆のカメラが捉えていた。

「アメマスを釣った場所に行ってみましょう」「茅沼駅かやぬまから行ったところだね」
「そう、駅で待ち合わせしましたね、あの駅も建て替えられ、すっかりきれいになっています、今度の切替作業用に道路が出来ていますから今日は其処から行って見ましょう」
 篠田も何回か通った道だと思うのだがきれいな簡易舗装の道路になっている。しばらくして隆は道路わきの空き地に車を止めた。
「篠田さん、これに履き替えてください、スニーカーではちょっと無理でしょう、突然現場を見に来る方に用意してあるんですが、まだ使っていませんから」
 隆は篠田の足元を見ながら真新しい長靴を取り出した、それは篠田には懐かしい膝の下あたりに絞りの入った作業用の長靴だった。線路伝いに少し歩きましょうと隆が先にたって歩き出した。線路の枕木の幅は歩幅に合わない、何歩目かには外れて砂利の上に足が乗る。久しぶりに枕木の上を歩く感触を思い出した。
 昔、事務所から細い草むらの道を通り、線路を少し歩いて川岸に繋留けいりゅうしてあるボートまで通ったものだった。隆と待ち合わせ、茅沼かやぬまの駅裏から歩いたのとは逆コースになるな。 篠田はそんなことを思い浮かべながら隆の後を追った。線路脇に繁るハンノキ林の隙間から遠くに白く光る川面が見え隠れしている。昔はこの線路のすぐ傍を蛇行して流れていたのだった。先を歩く隆の背で、アディダスのロゴマークが入った、エナメル引きスポーツバッグが揺れている、思わず篠田は背中のリュックに手をやってみた。ごわごわした手触りが返ってきた。
「ここから入りましょう」
 線路脇の生い茂った草むらに踏み後らしい処があった。
「昔は釣り人が通っていたので、歩きやすかったんですが、今は誰も通らないので」
 隆は篠田を気遣いながら繁った葦の葉を両手でかき分けながら進み、篠田もいつしか湿原を掻き分けていた頃の気分に戻っていた。
「右手の少し低くなってる処が流れの跡です、すっかり草が繁っていますが蛇行してる川筋なのでしばらく行くと左手の方に流れは戻って来ていたのです」
「所々に溜まりがありますね」
「そうです、雨の後にはしばらく溜まってます」
「此処です、あの時はこの左手の川岸をここまで来たんですよ」
 隆の指さす先に広い真直ぐな流れが見えた。「ここは川が大きく逆U字に蛇行していて、そのU字の底に枝川が入っていたんです」
 その部分をショートカットされ、二分された元の流れは自然に水位が下がり、干上がった川と水溜りになった川が残り、やがて周りの茂みがその姿を覆い隠すように繁茂していった。
「昔とすっかり変わってしまっているけどこの辺りです」
 隆は二人が腰をおろせる広さに、葦の茂みを踏み均した。
「篠田さん、僕楽しみにしてきたんですよ」
そう言いながら隆はキャリングバックを肩から下ろし紙包みを取り出した。
「あのとき、篠田さんがそのリュックからおにぎりを出してくれましたね、今日は僕が持ってきたのを食べてください、コンビにで買ったものですけど」
「そうそう、あのとき、きよさんが隆君と食べなさいって持たせてくれたんだ、丸くて、大きくて、中には鮭の身が入っていたね、、」 あの頃と変わらないのはこのリュックだけか、持って来てよかった、篠田は降ろしたリュックを傍の立ち木の枝にそっと架けてみた。其処には三十年前のあの夏の日と同じ草いきれが立ち込めていた。
 ほんとうに来てみてよかった、隆の差し出すおにぎりを受け取りながら篠田はしみじみと思った。おにぎりは三角形に包装されていて印の部分を引っ張ると包装は縦に二分され、二重に保護されていた海苔で包まれる、湿気を含まない海苔の香りがいっそうおにぎりを美味しくしていた。おにぎりに工夫された包装技術は時代の進歩がさせたものだ。
 川筋の復元にはどのような新しい工夫がなされるのだろうか、土木技術の進歩を見たいものだと思った。
「この水溜りや川の跡が、また昔のような流れになるんだろうか」
「ええ、できるだけそのまま昔の姿に戻すんだそうです、工業高校の同級生で開発に入ったのが言ってました、計画も状況しだいで柔軟な対応をするように指示されてるって」
「そうだね、自然との付き合いはそれが一番だと思うよ」
 札幌の本社には、昔写した元の写真が保存されてるかもしれない、今の写真を写しておこう、そして再び流れを取り戻した川の写真を写そう、篠田はカメラを出そうとリュックを手にした。その時ふと立ち木の上の方で何か赤いものが目に入った。
「あっ、マーカーだ」
「何ですか、、」
「いやあ、測量の時に付けた印が残ってた」
「あれ、ほんとだ、でも手届かないですね」
 当時、ポールを立てて位置の測定をする測量ポイントとトランシットをセットする定点には赤いペンキで十字を入れた杭が打ってあった。その杭を見つける目印に、見通しのよい立ち木に赤いビニールテープを巻いたり、折りたたんだテープを立ち木の幹に釘で打ち込んだりしてあったが、殆どが目線くらいの位置だった。
「そうだね、手を伸ばしてようやく届くか、それに釘もしっかり幹にくい込んでるね」
それは、まるで太い幹からいきなり赤い花びらが咲いたように見えた。
「近くに杭もあるかな」
 篠田は近くの草むらを足先で探ってみたが見当たらなかった。風雨にさらされた三十年は垂木たるきの杭が残るには長すぎ、立ち木の生長には十分な時間であったようだ。この場所は隆と釣りに来た記憶しか篠田には無い、多分川向こうの湿原側にトランシットを構え、助手の加藤君にポールをセットさせて測量した場所だったのだろう。
「水の無い川筋って、奇妙な感じだね」
「ええ、切替になった頃ここにも何度か来て見ました、今のように草が繁ってなかったので水位が下がって今まで見えなかった岸の抉れや、川の底の形がよく解りましたよ、沈木に引っかかったルアーも何個か拾ったし、ザリガニも捕ったなあ、、、」
 隆は通いなれた釣り場が荒廃していくのを、成すすべも無く眺めていた頃を思い出し、篠田は考古学をやってる友人につれられ、オホーツク海沿岸に残っている竪穴住居跡の遺跡を見た時を思い出した。一面の雑木林の中に続く生い茂った草の起伏は、かっての生気ある住居の痕跡を残していた。同じように、かっての川筋を思わせる葦の茂みが蛇行して続いていた。
 二人の間には言葉少なに、多くの思いが語られる時間が流れ、風に靡く葦の葉が篠田の襟元で揺れていた。
「此処が切り替えられてから祖父じいちゃんは、イトウ釣りに出かけることもなくなりました」「昔から馴染んだ川が干上がるのを見るのは辛かったのでしょうね」
「ええ、僕なんか以上だったと思いますよ、それ以来川は死んだと言って本流に釣りに来ることは無く、シラルトロの干し場近くの小川ばかりだったと思います」
「だから山あいの沼地に散骨してほしかったんでしょうね」
「ええ、そう思います、今もたまには釣りに行きますが、祖父じいちゃんが待っててくれるような気がするんです、、、さあ、茅沼かやぬまに行ってみましょうか、すっかり観光スポットになっていますが」
 車は元来た国道に出て右折した。
 篠田と隆が待ち合わせた頃の駅舎は昔からの木造板張りで、線路脇の牧草地に舞い降りる鶴に餌付けをしていた駅長さんが常駐していた。その後ログハウス風に建直され無人駅になっている。
「あの辺りだったろうか、隆君がみみずを捕っていたのは」
 車を降りて二人は線路脇を歩いた。
「ええ、草地の一番はずれのあたりかな、雑木林がなくなってしまったけど」
「ほんとにすっかり変わったね」
その時ランクルのルーフキャリーにカヌーを積んだ車が入ってきた。
「お、カヌーだね」
「ええ、随分多くなりましたよ、上流の屈斜路湖くっしゃろこから河口まで、カヌーで降るのが盛んで、個人所有のカヌーを車に積んでやってくる人もいますが、あちこちにカヌーポートが出来てガイドをしてくれますから、何も持たない観光客も手軽に楽しめます」
「確かに自然の中に手軽に溶け込むには最適かもしれないね、ゆったりと時間をかけて」
「そうなんです、丁度茅沼地区かやぬまの切替工事が完成した頃から盛んになってきたようです」
「でも川筋が直線化すると流れは早くなるでしょう、ゆっくり降るのには困るね」
「ええ、時間をかけてゆっくりカヌーを楽しむ人もいるし、河口まで早く行きたい人もいるでしょうし、両立させるって事は何でも難しいことばかりですね」
 小さな茅沼駅前かやぬまに、マイカーで旅行中とみられる家族連れやツアーのバスなどが入ってきては記念写真を撮ってゆく。殆どがデジタルカメラやカメラ機能のある携帯電話だ。熟年夫婦の気まま旅と見受けられる二人ずれが、何かを語らいながら篠田の前を通り過ぎた。その肩には、シックなカメラバッグが、手には望遠レンズのついた高級一眼レフが握られている。篠田が手にしているのは、現場写真を撮るのに愛用していたフイルム式の、いわゆるバカチョンである。湿原の中では似つかわしいが観光客の前では少々ひけてくる代物だ。ポケットにしまい込む篠田の様子を隆の目が笑って見ていた。
 細岡の展望台に上がると遠く阿寒の山々が湿原の向こうに青黒く見える。
右から雄阿寒岳(1371メートル)
中央は雌阿寒岳(1499メートル)
左は阿寒富士(1476メートル)である。
 やや傾いた午後の光のなかに白く輝く釧路川があった。その姿は、ここから見る限り昔ながらの湿原の川のように見える。とても上流域に直線化された人工の流れがある川とは見えない。蛇行する川筋に出来るふちえぐれなど大きな魚が隠れる環境が無くなった川は当然生態系も変わっているだろう。しかし川も、こうして切替後二十年を経過した今は、新しい環境になじんで生活圏を広げている多くの生き物たちが見られる。その生き物たちがまた、昔起こった生活圏の大きな変化と同じ事に再び遭遇しようとしている。かってここを追われて別の場所に移った魚は、やがて徐々に戻ってくるだろう。しかし新しい環境に生まれ育った生き物たちがまた追われる立場を経験することになってしまはないだろうか。 人間社会においても二十年以