『旅の今昔』 GPAPA 記
緑の美しい季節になりました、百年来の大雪を経験し『雪かき今昔』で昔を思い出して書きましたが三月、四月、別れと出会いの季節も過ぎ雪と寒さから開放された北海道の一番よい季節がやってきました。そこで今回は五月の中旬に南房総を巡ってきましたのでその話を題材にしようと思います。ちょうど出かける前に北海道新聞の『卓上四季』を読んでいたら、松尾芭蕉が『奥の細道』へ旅立ったのが旧暦の元禄二年三月二十七日で現在の五月十六日であったと書かれていました、そうか芭蕉と同じ日の旅立ちになるなとひとりかってにあやかったつもりで千歳を出発したのでした。
昨年は九州旅行の途中、内之浦宇宙センターでの惑星探査ロケットの発射を目の当りにしたのが五月九日、私の誕生日と重なり、四年後の帰還は何処で見ることができるかな、ひょっとすると天空で出迎えるようなことになっても不思議でない年齢になったな、などと考えたものです。
三百年前の芭蕉はその旅立ちにどれほど大変な覚悟が要ったのか、今では想像もできない程のものであったのでしょう。その覚悟を芭蕉は『奥の細道 旅立ちの章』に『不二の峰幽かにみえて、上野谷中の花の梢またいつかはと心ぼそし』と書いています。
再び、この出発地の風景を見ることができるだろうかの不安と覚悟がよく現れているように思います。ところが私は年齢相応の注意をしなさいとかかり付けの医師から言われ、処方された薬剤を鞄に入れただけの身軽さと気楽さの旅行です。
私は今回の旅行日程の全てをネットを使って準備しました。目的地の交通状況から天候、季節の風景、各地のイベントや特産品の有無、レンタカーから旅館選びまで居ながらにして全て契約ができました。羽田から東京湾アクアラインを高速バスで木更津に着きレンタカーを調達しました。ほんとうは羽田でレンタカーを借りアクアラインを走って見たかったのですが、乗り捨て場所が千葉県では困るとの事でバスにしたわけでした。
私の釣り友達でドライブ大好きと云う人がおります、彼は一昨年四国八十八箇所の巡礼をマイカーで行ってきました。 本格的なあの衣装とてくてく歩くのが修行で、それが巡礼というものと思っていましたが今はマイカーで一巡りも盛んに行われているのですね。そのうちヴァーチャル巡礼もできるようになるかなと思ったらすでに発売になっているようです、「お遍路さん〜発心の道場編 」 なるものが GC 用に出ているのに驚きました、それも出かけるのが大変な高齢者が対象とは!!!。
その友人の車にはカーナビが付いています、幾度かの釣り行に便乗してなかなか便利でしたので今回は最新のナビ付きのレンタカーを借りました。初めての道に入っても迷う事も無いし、千葉の田舎の狭い道も表示するし渋滞個所を避ける案内には感心しました。
一日目の宿は白浜で『季粋の宿 紋屋』さまにお世話になりました、ここはネット上で『日本初の旅館の女将によるメ−ルマガジン』を発行している、仲の良いご主人と女将が経営するすばらしい癒しの宿です。翌朝近くの野島岬灯台と厳島神社の境内を散歩していたら松尾芭蕉の句碑に出会いました、やはり縁があったのかと苔に隠れた文字を確かめました『あの雲は稲妻をまつたよりかな』もう一つは読めませんでした。
二日目は一宮で『芥川龍之介』ゆかりの宿 『ホテル一宮館』に宿泊しました。庭の木立の中には芥川が一夏滞在したと言われる離れが文化財として大切に保存されていました。一般にこのような古い文化財には立ち入ったり触れたりするのを禁止しているのが多いのに、自由に入らせ触らせてくれるのは嬉しかった。
友人や恋人と交換した手紙、色紙類も展示され、使用していた文机もそのままに残されていました。その机の前でポーズしたらカメラを手にした口の悪い義弟は私がポケットのたくさんある釣用のベストを着ていましたので、まるで『塵芥川釣之介』だと言いながらシャッターを切ってくれました。
”目的地の前です音声による案内を終了します”二日間案内してくれたナビちゃんの声がしましたら返却するレンタカーの営業所前に着いていました。現代の旅はネットを利用して計画を立て、GPSの誘導で目的地に着き、そこにはハイテクもITも関係の無いゆっくりとした時間の過ごせる宿があり、図らずも苔むした芭蕉の句碑に出会い、芥川龍之介や久米正雄の旅を垣間見る時間を持つことが出来たのでした。
停滞する梅雨前線か台風もどきか南房総の海は強い風が吹いていました
今の時代、大変便利なネットを活用して下記のようなゆっくりとした時間の過ごせる宿に誰でも簡単にたどりつけることが実践できました。
興味あればアクセスしてみてください。
http://www.monya.co.jp
http://www.ichinomiyakan.com/index.html
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