『川遊びとやまべ』 GPAPA 記

yamabe七月一日は我々道東をフィールドとする釣り好きの者には『やまべ』の解禁日として待たれている日なのです。先日の北海道新聞のローカル欄には湧別川水系の生田原川で釣り糸を垂れる太公望の写真と記事がありました。例年この時期に掲載されるニュースなのですが、初日の混雑を避けて後日ゆっくり釣ろうとする地元の”のんびり釣り師”が、さてどの辺りに出かけようかと考える情報源の一つになっているのです。

私はこの水系の中流域に位置するE町で小学五、六年を過ごしました。
川の水が綺麗に澄み、やまべがたくさん釣れた頃のお話です。

川遊び仲間の子供たちには秘密の場所があって、そこには釣り竿や『ひっかけ』が置いてあります。『ひっかけ』とは一メートル程の柳の枝に錨針を結びつけたもので水中メガネをつけて泳ぎながら川底の石陰に潜んでいる川カジカ、通称『どんこ』を獲る道具です。
釣り竿は『ひっかけ』に使う柳の枝よりも吟味した二メートル程のまっすぐな枝でその先には当時では貴重なテグスと釣り針が結んであります。
イタドリの枯れた茎にいる虫を針に付け小さな淀みにたらし、竿の根元を石で押さえると準備完了、近くの大淀みへ泳ぎに行きます。
後年近くを車で通った時立ち寄ってみましたが大きく張り出した大岩に渦を巻くほどあった水量も極端に少なく、コンクリートで護岸された川岸には川面を覆うように茂っていた柳の木も見当たらず、釣り糸を垂れた木陰もありませんでした。

しばし感慨に耽っていると、あの照りつける真夏の太陽の下で水飛沫をあげていたT君やH君の笑顔が浮んできました。T君は小柄だが筋肉質の引き締まった体で古式泳法の『抜き手』が得意でほとんど上半身が水面に出るような姿勢で左右の腕を交互に肘から持ち上げ、ぴんと伸ばした手のひらを頭の前の水面にゆっくりと突き刺すように水しぶきひとつ上げずに泳ぐ姿は見事なものでした。
一方クラス一番長身のH君は競泳のクロールが得意で、水面に顔をつけ時々息継ぎで横向きになりながら相当早い流れの中心を流されずに止まっているように泳ぐのでした。私やその他の水泳とは呼べない通称犬掻組はこの二人の泳ぎをいつも羨望と尊敬の眼差しで見つめていたのでした。

水遊びに夢中になり釣り竿のことを忘れることもしばしばです、ただ置いてあるだけの仕掛けでもあめますやウグイがかかっている事もめづらしくなくお互い大きさを自慢しあったものでした。
真上でぎらぎら輝いていた太陽も傾き体の冷えに気づいた少年たちは一人二人と帰りはじめます。

kawa2その頃から下流の瀬では夕まずめを狙った大人たちのやまべの瀬釣りが見られました。何人かいる釣り人の中に一人変わったつり方をする人がいて私はその人が来ると近くによって一心に眺めていたものでした。夕方の傾いてきた太陽の光で水面はきらきらと輝き、逆光の中でその人が振る長い竿の影がとても印象的だったのが今でもはっきりと思い出されます。
その人の仕掛けには釣り針がたくさん付いています、丁度港の岸壁で釣る「チカ」釣りの仕掛けに似ています。構えた竿先はほとんど水面に近く竿先から長く伸びた道糸は水面に漂いいくつも結んだハリスの先の毛鉤が水面に浮かんでいて、竿先を小刻みに動かしながら流すとやまべが飛びついてくるのです。すーっと竿が持ち上げられると針先で縦に細かく震えるやまべ独特の銀色の姿態が時には一匹、時には三匹も輝いているのです、すごいなあ上手だなあ!!と飽きもせず眺めていたのでした。
これは最近流行のフライフイッシングとも違いまた日本古来の毛鉤釣りであるテンカラ釣りとも違う釣り方で私が最初に見たやまべの毛鉤釣りでした。
七月に入ってから雨の日、曇りの日が続き初夏の感じがありません。
空には入道雲がかかり夏らしい暑さと陽射しの中、清流に釣り糸を垂れる感触が待ち遠しく思うこの頃です。


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