食いしん坊たちの美味しい話 「縁は異なもの味なもの」Gpapaさん記

 いまオホーツク海の沿岸では故郷の川に向かう鮭の帰省ラッシュが続いています、数年の間海で成長し種族保存の本能に導かれ生まれ故郷に戻って来たのです。あの広い海からどのようにして生まれ故郷の河川を見分けるのか、群れを成して遡上する姿を見る度に感心します。聞くところによるとそれは生まれた川の水の味や臭いで判別しているとも言われていますが詳しいことは専門の研究員にお任せしましょう。

 ところで皆さんもあれはおいしい味だったなあなと料理を思い浮かべたり、また何処からか漂ってくる良い匂いに鼻をヒクヒクさせ、匂いのする方に吸い寄せられ焼き鳥屋の暖簾をくぐったなどの経験はおもちでしょう。

 昨年、かってこの地に勤務していた事のある者たちの集いがあって、昔々若く元気なころ夜な夜な通った酒場通りを案内したことがありました。三十年ぶりに訪れた友の顔には懐かしさがこみ上げ、以前とはすかっり変わった街並みなのに吸い寄せられるようにその方角に歩き出し、狭い路地にようやく見つけ た二階への階段を見上げる目はうるうるしているように見えるのでした。

ここだ、ここだ、酔っ払って朝眼を覚ましたらこの階段の下にいたんだ。ここで憶えたモツと焼酎の味は忘れられないんだ、、、と、鮭の本能にも似た味への回帰本能を発揮していました。

 ひと夫々に好みが違って、絶対美味しいからと連れて行かれたお店の味にいまいち不満なこともあります。また味覚,臭覚の外にお店の雰囲気やご主人、従業員から受ける感じも味の良し悪しに多いに影響があったりします。また中にはここは付けが利く等も美味しく感じる重要なファクターの人もいるでしょう。つまり美味しい味には決まった定義など当てはまらないように思うのです。

さしずめ前記の友人などは大らかな気質が言葉の端はしに滲んでいるこの店のママに田舎の母を思いだし、いいよ、この次でと付けを効かせて貰えばさらに美味しい味のイメージを膨らませていたのでしょう。しかし見上げる階段の上にはかってくぐった暖簾は見当たりませんでした、30年だもなあ、あるはずな いよなあ、友人の古い味の記憶を確かめることは適いませんでした。

 よく忘れられないもの、懐かしいものにお袋の味を挙げる人は多いと思います。それは子供の頃から慣れ親しんだ味、つまり舌に良く馴染んだ味と言うことでしょうか、中でも「肉じゃが」を挙げる人は多く定番中の定番になっています。鮭の本能が選ばせる河川回帰にも似て、人も本能的に一番に安心できる食品が母の作ってくれた食べ物である事を知り、その味と匂いを永く記憶しています。その味の殆どは色々な添加物などの入らない自然の恵みを一杯に詰めこんだ価値ある産品を選ぶ事で得られ、それがあの懐かしいお袋の味として記憶の中に生きているのでしょう。しかし現代はどうでしょうか否応無く押し寄せる大量生産大量消費の波にはこの様な感慨は通用しないのでしょうか。いや、そのような時代であればこそ人は其処に回帰し、其処に癒しを求めるのです。

 いま産直朝市が始まりました、目指しているところは、この基本中の基本である安全な食品の発掘と提供に加え諸々の付加価値を調味料のように付けようとしています。その調味料とは大さじ一杯とか小匙三杯とかの定量計測では計ることの出来ないものでどちらかと言えば胡椒少々のくちでしょうか。

それは出会いがあってお互いを知ることで得られる信頼関係、直接の話で情報を交換し納得し、人の和を輪にすることで出来上るエコサークルとでも言いましょうか、そんな新しい活動を意味しています。ひょんな事から知り合い、仲間になった者たちが美味いなあと云う産品を媒体に知恵を出し合いながらこの運動を進めていけばやがて「縁は異なもの味なもの」ですなあ!!とお互い異な者同志で味な会話が出来る仲間になって行くのではないでしょうか。

あんしんサポーターのMANAさんとGPAPAさん(写真右)

産直朝市広場 | HOME